ただの思いつきで『フランダースの犬』


日本で大人気の『フランダースの犬』。

「もう疲れたよ、パトラッシュ…」って、疲労しているけど、笑いが欲しい、あるいは自嘲的な折につぶやきたくなる名言を残してくれた、あれ。

あれ、名作ってことになってるけどさぁ。

至極厭世的な童話よね?

浅田次郎風に言えば、
「この世でいいことなんか、ひとっつもなかった」(よく、貧しい生い立ちの登場人物をこんな風に描写する)、しかしかなり感情移入-ableな主人公が物語世界すべての不幸を背負って犬と野垂れ死にする話よね?

これって、しみじみ読む泣ける話でないよな?
むしろ怒りをもって読むべきプロレタリア文学っぽくないか?
この世の中なら、『蟹工船』の次に流行るべきじゃないのか? (ネタが古いwもう流行ってないよね?)

あるいは、夢と芸術に走る若者に対し、「んなもん、金持ってなくて追いかけるなら死ぬだけだよ」と突きつけるリアルな親御さんが引き合いに出しそうな筋よね?

アメリカではちょっとあんまりなため、ハッピーエンド化されて映画化されているらしい。笑。

日本では原作より救えないアニメのおかげで、まぁ大人気なわけですが、私は第5話くらいから救えない匂いをかぎつけて、アニメ観たい盛りの7歳(くらい)だったにもかかわらず、出るたびにチャンネルを変えていた気がする。笑。

アニメでのラストシーン、主人公と犬が天使に誘われて幸せそうに昇天するあたりが印象的だが、あれはクリスチャンアニメ監督が、
「死とは結末ではなく、天国への凱旋だ」と、清いまま死んだ彼らを祝福したものらしい。

この世がこれほど不条理なのに、天国とやらが楽園であろうなんて発想、どこから来るのだろう。

…まじめにこの話が好きな方、ごめんなさいwwww

フランダースの犬 (新潮文庫)

白鳥の湖とポリガミズム


タイトル通りふざけた感じの小ネタ。

夕食後、偏食王とカウチに寝転がってのんびり動画。このまま行けば確実にトド化するというのに。

何かの拍子に、『白鳥の湖(童話)』を思い出したんだな。思い出した童話のストーリーはすぐ誰かに話したくなる気性なので、隣に寝そべっていたやつに語ってみたわけだ。

私 「えーと、白鳥が化けた姫さんを見初めた王子たんが舞踏会でプロポーズしようとするんだけど、陰謀が絡んでそっくりに化けた黒いお姫さんに間違って告っちゃった話なんだが、知ってる?」

偏 「知らんが、結末はどうなった?」

私 「(忘却の沈黙、約二秒)They lived happily ever after…?じゃないかな。うん、間違いない」

偏 「待ったw 間で色々省かれすぎだ。誰とどうHappyになったかが大事だろうが」

私 「ん、確実に童話の王道的なハッピーエンドなのは憶えてる。子供用のだし。本当は恐ろしい童話とかである可能性はあるが」

偏 「わかったぜ。なるほど、両方のお姫さんとくっついたんだな」

私 「ちょっと待てwwwwwwwwwwwwwww」

偏 「え、だめ?ラケルとレアみたいで古典的なハッピーエンドじゃん」

聖書バックグラウンドがない人々のために解説しておくと、ラケルとレアとは、創世記の初期で神に祝福された男ヤコブが持った二人の妻であり、その12人の息子たちがユダヤの12部族の始祖と言われている。

物語的には、ラケルとレアは姉妹で、ヤコブは美人妹のラケルに惚れていたんだが、慣習的に姉を先に妻にする必要があって、彼女らは姉妹でひとりの男をシェアする羽目になった。そして、もちろんヤコブは妹を贔屓している…(ただし姉のほうは結婚後立て続けに子供を4人産んでいるので彼は頑張った方だと思う)

昼ドラよろしく、そんな家庭に平穏が訪れるはずはない。
というわけで、私は皮肉たっぷりに言い返してやった。

私 「うん、ハッピーエンドな。まさしくヤコブ一家みたいに、まず妊娠合戦が起きて、疲れてくると妾まで巻き込んで、次に誰の子が優秀かでもめて、もめた結果、誰がエジプトに売られたんだっけ?ハッピー極まりないな、全くもって」

偏 「う…たしかにw」(←たぶん、偏食王がこの話を聞いたのは10歳前とかなので、おそらくここらのどろどろさをわかってないw)

私 「ハレムは男のものだけど、生まれてくる子供の父親がハレム主じゃないことも皮肉だけどよくあるらしいしな。エジプトに売られた子のことね、ちなみに」(※ ヤコブ編以降で、大活躍するヨセフ氏が実はヤコブではなく彼の息子のルベンの種だという噂はいろんなところで存在するが、神話としてこの話を読んだ時に結構好きな解釈だ)

偏 「それはあってるけど、君は後宮小説の読みすぎだw」

全くその通りです。はい。

クリスチャンスクールの礼拝中に読んでいた聖書の話が何年かあとにユダヤ男とのピロートークに活用される皮肉。

一週間前、MIT Sloan School of Managementに合格しました。


ここらで、MBAの中間戦績と、これまでの足跡をぼちぼち公表していきたい。備忘録なのでまたグダグダになりそうだが。

まず、私が今年、MBA受験をした動機は、不純さとノリ以外の何物でもないことを告白しておく。

けど、前提として、アメリカ人にとってのMBAなんて、一般的にはヤッピーがさらに出世したり、better payを求めたりする場所として認識されているので、不純も何もあったもんじゃないんだけど。そして、私の職場(一応コンサルタント)では、学卒を結構採用していたが、修士以上でないとManager(課長職)に昇進できないのが明文化されていたので(アメリカではもちろん、ザラな話。うちの会社はTOP5じゃなきゃいけないと言わないだけ、まだマシ)、私にとってMBAというのは近い将来、確実に行くものとしてインプットされてはいた。

けど、私が2009年秋に入社して、2011年にもうMBA受験を開始し、2012年に会社をやめることになったのは、ひとえに2011受験が会社によって定められている、偏食王に唆されたせいである。

偏食王は私より遥かにハードなコンサル会社に勤めており、入社2年でMBAを受験し、3年目の秋に同期が全員(!)会社指定のMBA(TOP5-6)のどっかに社費派遣され、2年経って戻ってくるというシャケ回遊ルートに乗っかるつもり満々だった。

たしか2011年春、私がUSCPAの4つある試験のうち、4つ目のために勉強していて、同棲してから半年くらいのときだった。もちろん、頭にはどうやってAuditをパスするかしかない。

偏食王「そういえば、そろそろMBAの準備はじめなきゃ」
私「ああ、でも再来年でしょ、受けるの」
偏食王「いや、言ってなかったっけ?受験するのが来年で、行くのは再来年だよ?」
私「Σ( ̄Д ̄;)ええーーっ!  じゃあもう、行っちゃうの?」
偏食王「なんだ、一晴も一緒においでよ」
私「マジで!?」
偏食王「一緒に通うとか楽しいと思うし」
私「た、確かに楽しそうね、それ」

私が2011年中に、MBA受験を始めた理由は、たったこれだけである。ノリも不純も極まれり、だ。

USCPAは無事に合格したが、大学留学の準備に、1.5~2年ほどの時間を費やした経験から、2011年夏に準備を始めて、秋のRound 1 (10月申請)に間に合う気は到底しなかった。が、Round 2 (1月申請)でも合格率はそう変わらないと聞いて気軽な気持ちでGMATの本を取り上げてみる…と、ここはGMAT感想に書いた通り、思ったより簡単だったのでサクサク進み、8月に初回で730点が取れてしまったのであっさり終わる(TOEFLは免除)。

大学受験の時も、最難関にして最も苦しんだのはエッセイだったので、ここも大変だ!と身構えるも、ある程度骨子を仕上げてから、優秀かつ経験豊富なカウンセラー、Adam Markus氏を味方に付けてからはトントン拍子に進んでしまい、最終的には、

10月3日のHBS
10月11日のStanford GSB
10月25日のMIT Sloan School of Business
12月1日のHaas School of Business (UC Berkeley)

が、尽く間に合ってしまったのだ。仕事が遥かに忙しかった偏食王はHBSしか間に合わなかったというのに。

エッセイを真面目に書いてた期間は、合わせると2ヶ月もない。エッセイ作成については、また別の機会に詳しく書こうと思うが、受験者には参考になるかわからない。日本をベースにしつつ、世界中にクライアントを持つAdam氏をして、「あんた、特殊すぎて面白く見せるの簡単なんだけどw」と言わしめるほど、私は変らしいので。

10月末、HBSから面接のInvitationが届く。面接にInviteされた時点で合格率50%なのだ。

11月中旬、偏食王と一緒に受かるといいなーなんて思いながらにBostonに赴く。甘かった。フラッシュカード(予想される質問をカードに書いてめくるやつ)まで用意して結構準備を頑張ったつもりだったHBSの面接(難度が高く、特に重要と言われる)では、予想外の質問と、面接官の独特な雰囲気に呑まれて撃沈。本番に強いことだけが取り柄だったのに…。皆さん、HBS面接は只者じゃないです。

12月中旬、面接終了後から、ほぼ毎日、私は悪夢にうなされていたような気がする。寝ても覚めても。MBA受験の過程で、私にとって最も過酷だったのが、GMATでもエッセイでも面接そのものでもなく、「待つ」ことだ。人事を尽くすのは易く、天命を待つのは難し。わかっちゃいても、どうにもならぬ。軽くグロッキーになりながら迎えたその結果は、やっぱし不合格だった。しかも、偏食王と二人して。落胆しなかったと言えば嘘になるが、ほっとした。合否が分かれなくてよかった。Stanfordは面接にも呼ばれなかったので、それほど思い入れはない。気を取り直して、

1月4日 Wharton、Columbia
1月10日 Kellogg
1月15日 NYU Stern

の出願完了。同じ頃、偏食王はStanford、Wharton、Kellogg、MITに出願する。

1月初、MIT Sloanの面接。準備のしすぎで自滅した前回の教訓を踏まえ、カウンセラーとの面接練習もせず、なるべく軽い気持ちで挑んでみる。それなりにいい手応え。その後、KelloggやUC Berkeleyの面接をこなし、先週のMIT結果発表を迎える。

出張中の偏食王にかわって、Scott君に見守られながら恐る恐るクリック。が、現れた画面には、合格通知に必須の、

Congratulations!!

が、ない。目の前が真っ暗になる。

私「落ちたァ…」
Scott「馬鹿言え。受かってるじゃないか
私「はぁ?…あれ、Wooooooooooo!!!!」

On behalf of the MIT Sloan School of Management Admission Committee, I am delighted to offer you admission…

覚えておくといいかもしんない。結果通知レターの始まり方はCongratulations!!からとは限らないのだ…。

とりあえず、今ココ。当初の不純な動機にあわせるべく、まだほかのとこは結果待ちだが、自分の性格とMITプログラムの親和性が高いので、密かにここに行きたいな、と一晴は思っております。

ここらで、中間戦績まとめ。
MIT Sloan 合格
HBS 不合格
Stanford 不合格
UC Berkley (Haas) 面接済
Wharton (U Penn) 待ち
Kellogg (North Western) 面接済
Columbia 待ち
NYU Stern 待ち

私に公立小学校への怨嗟を吐かせたら止まらない~Twitterまとめ編。


昨夜、連続リツイートしてみたら結構反響があったので、読みやすくブログにのっけてしまおう。Twitterまとめ編、ということは・・・はい、もちろんこれだけじゃ終わりません。こんなのただの導入です。笑。

大学に行かない選択というのが巷で話題らしいが、おのが教育歴を振り返ってみて、無駄だった学校のダントツ1位は小学校だ。授業は朝から帰りたいほどつまらなく、行進だの朝礼だの子供らしさだのが嫌で仕方なかった。 今に至るまで私の母校は日能研だと思っている。

あらゆる学校の中で、最も不当に学生を拘束し、知的好奇心を満たさず、役に立つ人脈も作れない学校は小学校であるのに なぜその対極にある大学を批判するのか。本当に才能があって、生き急いでいる者は、小学校を私立かホームスクールでやり過ごし、中高すっ飛ばして大学に行けば一番効率いいと思う。

私に日本の公立小学校への怨嗟を吐かせたら止まらない。まず、小学校の授業や活動は、一度たりとも集中したり夢中になった記憶がない。授業という授業はすべて暇で、国語の時間は扱っている項目より先の物語を読んで時間をつぶし習ってない漢字がどうの、という妄言を聞き流し(個人的にひらがな混じりの文章は怪文書と紙一重だと思う)、算数では掛ける数、掛けられる数のさらなる妄言を無視して減点され、 理科では用意された浅い結論に辿り着けというプレッシャーに疲れた。

そして、何より全然無邪気でも純真でもない、子供らしい偏見と悪意の塊みたいな同輩の同調圧力に神経をすり減らし、朝礼や行進や、整列やその他あらゆる集団行動で、意に反する身体的行動を強いられ、それらに自然に反応するようになったおのれを自嘲した。
そんな鬱屈した子供時代の転換期は、日能研の体験授業だった。授業というものが45分間どころか、60分でも90分でも集中する価値があるものだと4年生のその時にはじめて知った。巷では賛否両論あるらしい、能力別に編成されたクラスの中で、はじめて、他の言語を解することが、本を沢山読んでいることが、人の知らない漢字を書けることが、そして、勉強を楽しめるということが「かっこいい」と言い切れる刺激的な同輩と出会った。

学校は、瞬時に「昼間ぼーっとしに行き、あわよくばこっそり本を読みに行くところ」と化した。ズル休みしたのも1度や2度ではない。受験のストレス熱だと親に言って、学校に連絡をいれてもらい、その後こっそり地域の図書館に忍び込み、心ある大人(?)たちから「今日学校休みなの?」なんて突っ込まれながらも無視して『ハッピーバースデー命輝くとき』を読んでた名残りの真っ赤な目を向けて撃退していたのはいい思い出である。卒業したどっかの区立小学校の名前は忘れかけているが、私の母校は間違いなくそこから救ってくれた日能研某校だ。合併でなくなってしまったが。合掌。

現在、『小学校は楽しかった』と言い切れる人の脳裏に浮かぶノスタルジックな光景は決して、つまらない授業中や、何度も付き合わされた運動会や卒業式の練習や朝礼の行進ではなく、放課後や休み時間に気の合う友達と走りまわったり、駄菓子屋行ったり、カード交換したりして遊んだ思い出とかではないか?

敢えて問う。

近所の子供とそういう楽しい思い出を作るのに小学校という箱は本当に必要なのか、ということを。そしてあなたの思い出は9割の退屈や無意味を都合よく忘れ、1割の珠玉を抜き出した甘美さから構成されているんじゃないか、と。

それを踏まえて、生き急いでいる人に聞きたい。

小学校が一番無駄だったんと違う?

ハッピーバースデー 命かがやく瞬間(とき) (フォア文庫)

ドーピングのすすめ。


やめたくてもやめられない―依存症の時代 (新書y)

心理学専攻として脳科学をちょこっとかじった者として、そして現在進行形で軽度のカフェイン依存(烏龍茶ときどきコーヒー)を持つ者として、こういうのはやっぱりどきっとさせられてしまう。
なぜって、ドーピング大好きだからさ。

あれはたしか、大学一年の、異常心理学のディスカッション。
はぁばどの医学教授が怒りをこめて書いたアンチSSRI乱処方の文章を読まされた。うつ病でもなくちょっと不安定になってるだけでゾロフトを処方され、医療保険切れでやめざるを得ず、離脱症状に苦しんだお嬢さんの話だったかと思う。
ちなみに、うつ症状(病、じゃなくて症状ね)に最も効くといわれている治療法は、現時点ではSSRIと行動認知療法という面倒なセラピーの組み合わせ。効く順番にクスリだけ、セラピーだけと続く。セラピーだけというのは明らかな効果が確認されているため、クスリに抵抗のある人にとってはacceptableな選択肢である。(このパターンはADHDにも共通する)

で、討論の中で誰かが
「セラピーに行くと自分の精神的やばさを認めることになるが、薬だけだったらそんな無力感もなく治せる気がする」と言ったのが印象深かった。
さすが自己実現バイブル。
自分自身に対しても、まわりの人間に対しても「私は問題をコントロールできてるし、私は強い」と言い続けたいあたりが、アメリカ人っぽいなぁと当時はぼんやり思ってたけど、あとになって私自身、間違いなくそのケがあることに気づいた。
競争社会向けのドーピングって考え方にどうしても抵抗をもてない。
“If that is what it takes, why not?”

あ。ベンゾはあんましよくないと思うけど。
実際、アメリカ人のADHD率は2-3%。フラタニティメンバーのADHD薬(リタリン)処方率は約50%!!!みんな徹夜論文するときにがりがりかじってるんだろうな。

そんな私がいまだカフェイン以上のドーピングを必要としないのは、生まれ持った適度ないい加減さとか、そこそこの処理能力とか、やっぱでも一番大きいのは身近や海の向こうにいる間接的精神安定剤たちの存在なのだろう。相変わらず、感謝してます。

ところで、私とドーピングディベートしたい人、募集中です。

映画『Juno』(ジュノ)が好きな件。


大学時代に、親友のMusic(登場人物参照)と、衝撃の妊娠コメディ『Juno』を見た時の感想。2008年の映画だが、楽しいよ。

アメリカのティーンライフ、及び隠れた事情、そしてポップな若者言葉を覚えるのに重宝した作品でもあるので、結構思い入れ深い。

日本じゃ知名度はあまりないかもしれないが、私の周りでは大好評の 10代妊娠コメディ、『Juno』。とはいえ、このテーマだと『14歳の母』とか キンパチのあまりに有名な「歩君」の話しか脳裏に浮かばないわけで 『コメディだと!?暗いに決まってらぁ』という直感にしたがってあまり乗り気じゃなかったのだ。

が!

あまりに友人どもが大絶賛するため、こりゃ観ないと話しについていけんわと 小学生並みの気持ちで、昨日の夜やっとこさMusicと観に行ったわけだ。

16歳ギター狂いのヴィレバン系(?)女子高生のJunoが、同級生ギター仲間の男と 恋人というよりは「ダチ」の延長線みたいな感じで関係を持った結果、孕んじまって さあ大変。真っ先に堕胎医に行ったものの、あまりに怪しげな診療所なんで「やべーよ」と予定変更して結局産んで、養子に出すことにする…という筋。あれですね、ジョブスの生い立ちと同じ流れですね。

何がいいって、全編通して暗いところが一片もないのがすげぇ。
コメディだけあって、実に腹がよじれる。

独特のアメ人高校文化っていうのかな、電話の子機があほみたいなハンバーガー型だったり、部屋の壁とかロッカーが変なポスター、写真のコラージュ、ステッカー類で埋め尽くされていたり(ちなみに自分はそんな面倒なこと死んでもやらんかった、高校時代さえ)、二言目にはDude! Shiiiiit!!!な言語が飛び交っていたり…というのが意識的に表現されていて、アメ文化になじみがないせいか知らんがすごく新鮮で好感が持てた。
(そして、私はコンサバで年食ってんだな…という嬉しくない実感もw)

それとなにより、主人公Junoの魅力にノックアウトされた。
まず、妊娠が発覚して「やべ~よ~」と叫びつつユーモアを忘れず、終始おのれを哀れむことなく爽やかにというか、「おう!ヘマして腹ボテだけどサクッと切り抜ければなんとかなるよw」的な姿勢が、たまらん。
そして、何を隠そう、私はこういう 「小柄でエッジが効いてて皮肉屋で斜に構えた猫みたいな女の子」キャラにいたく燃える。萌えるといってもいいかもしれない(違)。

実際にいたら仲良くする自信はないが、ほほえましくて撫でたくなるんだよな。
オスカー主演女優賞にノミネートされただけあって、エレンペイジはそんな飾らない素敵キャラをかなり魅力的に演じている。一見の価値あり。

観終わって歩いて帰る途中、Musicにいろいろ文化的な質問をぶつけてみた。
冒頭でも述べたようにアメ高校文化がかなり濃いこの作品をさらに楽しむために役立てればと思い、QA方式で載せてみる。

私「やばいな、Junoかっけーよ」
M「いやぁ正直、お前がそこまで気に入るとは思ってなかった」

私「けど、あのハンバーガー電話はちょっとアホらしいんだが」
M「なに?別にかわいいじゃないか」
私「いや、子供は好きかもしれんけどさ、どこの親が『あ~、あの電話ハンバーガーだぁw買って~』って言われて家の電話をハンバーガーにしちゃうんだよ」
M「そいつは誤解だ。ほら、アメ人の家は普通、各部屋に子機があってだな、子供部屋の子機は契約時にたいてい自分で選ばせてもらえるんだよ」
私「あ、なーる。じゃ、ジャパニーズ高校生の携帯みたいな裁量権があるわけね」
M「なに!?ジャパニーズ高校生は携帯でそんな好き勝手できんのか!高いのに」
私「…おう」

私「それとさ、正直十代で腹ボテになるのがあんな気楽なことかね?」
M「いや…それはあの子が強かっただけで実際は大変だろ」
私「そうじゃなくて、学校とかでもっとシステム的なトラブルがあるかなと」
M「ああ、だって妊娠出産は人の基本的権利だろ?」
私「まぁ。アジアの感覚だともっと困ったことになりそーなんだが」
M「ないない。それにだ。あれは公立高校だろ?定義的に公立高校ってのは納税者のための『公共サービス』として回ってるから、『腹ボテだから学校来るな』とは口が裂けても言えないわけさ。腹が邪魔な以外は誰に迷惑をかけてるわけでもなし」
私「なーるほど。でも、bad influenceみたいな文句は出ないの?」
M「…他にそういうのはあふれてるから、あんま気に留められないかな、うん」

私「あの毒毒しいポスターもかっけーのだが、私は死んでもやらんね」
M「See! I told you, you are OLD.」
私「だまれ。でも、あんたは何貼ってたのさ、壁に?」
M「あててみな」
私「科学オタク系の何かでしょ」
M「…よくわかったな」

私「それと、あんたも高校時代、あんなしゃべり方してたの?」
M「おう。Dudeとかはよく言うね」
私「なんかさ、聞いてるとほんとに自分が歳食ってる気がするんだよね」
M「…現実の世界にようこそ」
私「このやろ」
(以下自粛)

(Musicの高校はちなみに郊外にある名門公立。米では同水準所得者が固まって同じ学区に住むため、公立学校のレベルも地域の所得水準=地方税の額によって著しく左右されるため、名門とかがつく…らしい。もちろん関係なく腹ボテはいたらしいがw)

ほかにもさりげなく可笑しすぎて語りたくなるとこ満載なので、DVDでもみんな観ようそして語ろう。

JUNO/ジュノ <特別編> [DVD]

GMAT感想(ぐだぐだ)


GMAT試験の備忘録。

MBAを受けようと思ったのが2011年6月で、同じ頃に勉強を始めた。高校時代にTOEFLとかSATやって、Dukeで大学生活送っただけあって、TOEFL免除、勉強時間も1ヶ月くらいで済んだので、参考にならないかもしれない…。

ちなみに、書籍情報やもっと役に立ちそうな勉強法はネットに転がっているので、本気でGMATスコアを上げたい人は、こことかここを覗いては如何。

勉強を始めたのはちょうど、試験1ヶ月前。 恐る恐るMba.comからダウンロードした本番そっくりの無料ソフトで試し受験。

このPowerPrepとかいうソフトは本当によくできていて、GMAT本物システムのように前の問題の正否で次の問題を流してくる。だから、そこで取れた点数は本試験との相関性がかなり高い。実際、勉強をはじめて2週間足らずで受験した偏食王が本番前夜にとったスコアが、そのまま本番のスコアとなった。780点のAWA6点。やつには勝てない。

私はとりあえずそれを受けて、初回で700を取った。Math 50のVerbal 35。 もっと多大な苦労を要すると思っていただけに拍子抜け。本番でこれだけ取れれば御の字なので。

Verbalは間違えた問題の大半がSentence Correctionという文法問題で、私と違って英文法をちゃんとやった人はそこまで苦労しないかも知れない。TOEFLでも日本人が得意なのは今は無き文法セクション、という定説があったしな。自分はそれだけが最後まで苦手だったけど。問題は、このSCがVerbalの半分を占めたことだ。というわけで、私の勉強時間はほとんどこれに費やされた。Readingとcritical reasoningは余程難問でない限りサクッと片付けられたのは幸運だった。いつも英文をいじる仕事をしているからだろう。仕事万歳。

Mathは最初から50点だったので勉強しなくていいよと誰かに言われたがそうも行かず。むしろ幾何のピタゴラス定理とか因数分解とか素因数分解とか中学受験~中学初期の数学が自分の中から消えてなかったことに感激した。こんなところで役に立つとは。ちなみに高校数学はあんまり出ない。順列と組み合わせが低い確率で出るくらい。SinCos等はない。

GMATはCPAなど知識系の試験と比べると相当トリッキーな試験だ。「今までどんな知識を積み上げてきたか」の要素、ゼロじゃないけどかなり低い。むしろ、「今のお前の脳みそのパフォーマンス」を常に測られている気がする。VerbalでもMathでも、それは変わらない。

もちろん、問題を多量に解いて形式と時間配分のクセに慣れることは重要だし、忘れかけた数学知識を呼び覚ましたり、最低限の文法や熟語を覚えるたりすることも大事だけれど、それらが全て頭のどっかにある状態なら、極端な話、「それ以上勉強しても仕方ない」のだ。

私はだから、試験前々夜と前夜で合計8時間くらい好きなドラマを見て過ごした。PowerPrepで前日に出したスコアは710点。1ヶ月で10点しか伸びなかったのか!!と悲観せずむしろ安定してこれくらい出せるならいいやと前向きに考えることにした。

酒はさすがに飲まなかったが、代わりにグレープフルーツのジュースをがぶ飲みし、正直「もうどうにでもなーれ」だった。試験前夜に頭を使いすぎて、翌日になって「頭に薄い膜が張ってる感じ」の状態を回避するのに全力を使った。

試験当日もなるべく勉強はせず(ウォームアップに順列組合せの問題を1問くらい解くといいらしい)、会場行っておでこに目が覚める薬を塗りたくって「さっさとこんなアホなことは終わらせよう」みたいなテンションで臨む。

本番中、途中で「Mathは終わったな」と思った。時間配分を間違えて10分くらい余らせた上に、面倒な幾何問題をGuessで飛ばしたら、「正方形の面積は36です。四辺の合計はいくらでしょう?」なんていう小学四年生問題が出たとこでもーないと。「仕方ない、もう一度受けることも覚悟しよう」とパニックを沈めつつVerbalに移ったら意外と手応えがあり、もしかしたら相殺できるかも、と思いつつ点数確認。
うざいことに、この時期は次期GMAT用の試し問題に受験生全員を30分付きあわせるプログラムの真っ最中で、私の試験にカウントしない変な問題を散々やらないとスコアを見せてくれない。表とかグラフを見ながら結論を出す総合問題チックなやつなんだけど明らかに面倒なのでマイミク諸君、GMAT受けるなら今のうちだ。
で、スコア。つぶやきにも出た通り、Math 50 Verbal 39の730。

模試の出来を上回る結果にブースの中で軽く挙動不審な小躍り。試験監督は毎日こんな悲喜こもごもを観察してるんだろうか。Mathが終わってなかった件は、おそらく運だろう。間違えた問題も小学生の問題も、きっとスコアにカウントしない実験問題だったに違いない。そんなのが10問くらい実際のテストに混じっているのもかなりうざいんだが…。

先輩にも偏食王にも、680~700取れてればいいよ、と言われていたのでもちろん満足している。1ヶ月勉強したのも、スコアが30点上がったんなら悔いはない。「何でお前、そんな苦労してないんだよ」という声が聞こえてきそうだが、「英語の標準テストを含むアメリカの受験」が初めてじゃなかったから、に尽きる。SATの方が余程絶望的だったんだぜ。GMATは純ドメでも4,5回目に700点台出す人多いけど、SATのVerbalはありえなさすぎて私は何ヶ月も勉強しておっかない米軍基地に潜り込んで、3回受けてやっとVerbal640だったので…。つまり洗礼済みなのだ。だから私のこれは受験者にはあまり役に立たないだろうなと思いつつ書いているが、備忘録なので勘弁して下さい。

あ、帰国生などのMBA受験者は、これを読んで、「なーんだ、こんなテキトーでいいのね」とある程度の安心感を持って臨まれたらいいんじゃないんでしょうか。はい。

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米国社会人ライフ


一晴がアメリカで社会人ライフをスタートさせてから、もう2年半になる。

ありえない。

話には聴いていたが、この社会人スタート後の時の流れが恐ろしすぎる。

色々あって、今は男性二名(Scottと偏食王)と2LDK、トイレ・バス別の若者二世帯住宅(笑)に住んでいるのだが、忘れないうちにそのすったもんだの経緯を振り返っておこうと思う。要約すると、「色々あった」なんだけど。

2009年の初夏。
現在の職場である米国某ファームより内定を頂き、Dukeを無事卒業して、OPT(留学生が卒業前後に1年くらい働けるビザ)申請して、7月入社の前に日本でのんびりしようと帰国。久々に会う旧友たちと遊んだりしてたら、同期採用されたSちゃん(東南アジア華僑。♀。大学で日本語をとっており、日、中、英、印の四ヶ国語が話せる)から連絡が。

彼女とルームメイトになることに決める。
(ちなみにこの時点で彼女とはFacebookと電話だけの関係)

2009年6月
申請していた書類がいつまでも来ない。
一体どういうこと、と問い合わせてみると「明らかにおかしい」
結論から言うと、OPT書類をお役所になくされたため、7月の入社日に間に合わない!!!OH NOOOOOO!
これで内定切られたらどうしようと滅相慌てて内定先に連絡。

私を雇ってくれたボス「なに、渡米できない?まぁ、よくあることだ。日本オフィスで一端働かない?」

幸い、2009年は米国でも就職氷河期だったので、就業ビザ(H1の枠が埋まらず、5,6月から申請しても余裕で取れるんだとか。(2007年や2008年は、逆に外国人採用がやたら多く、抽選に当たらないと内定をもらっていてもアメリカで働けない状態だった)

ここでSちゃんに7月入社できない旨を伝え、ルームメイトを他で見つけてもらうことに(まだ時間的余裕があったのであっさり快諾)

で、私が日本でのんびりインターンしてると、米国駐在中のボスから電話が。

ボス「君、せっかくだから日本で1年くらいどう?」

私「まじすか」

ここは悩んだ。相当悩んだ。東京オフィス楽しかったし日本で人脈作るのは一応いい機会だと思ったから。けれど、ここで東京に落ち着いたら二度とアメリカには行けそうにない気がしたのだ。実際、過去のビザ難民は皆、日本に落ち着いてしまった。

そしたらSちゃんに同じ話が。Sちゃん快諾。おい…。

「そういうわけだから、代わりに一晴が私のルームメイトと家を引き継いでくれればいいよね?」

その時にはもう同じ大学出身のルームメイトを見つけていた彼女。
借家の1年契約にサインもしてしまった彼女。

しかし、その私が引き継げと言われたルームメイトは、
なんと、物理PhDを目指す、男。

その話を聞いて、うちの両親ブチギレ(うちは一人っ子なのでちょっぴり過保護だ)。

私「っておい、男じゃねぇか!」
S「いや、アメリカだと普通じゃん?」
私「アジア的には普通じゃなーい!てか、うちの両親切れてるし。ママは泣いてるし」
S「いや、いい子なんだって。写真みてみな」

彼、Scott君は堂々たる体格の優しそうなハンサムだった。

私&ママ「か、かっちょいい…」(ここでママが5割くらい軟化する)

私「とりあえず時間もないし、短時間だけそこに住みながら一人暮らしの家探すしかないじゃん」

ママ「わかった…でもママもついていくからね!」

私「お、おう…」

Scott君は只者じゃなかった。
13時間のフライトでへとへとの私たちをにこやかに空港で出迎え、食材、生活用品、家具、その他の買い出しに快く車を出してくれたばかりか、全ての家具を「組み立て大好きなんですよ♪」と家に着いたばかりなのに組み立ててくれる。

しかも、ママの手料理が大好きで、キムチだろうがピータンだろうが豚足だろうが、何でも美味しく食べてくれるのだ。

彼は、ちょっとそこらにはいないような、菩薩並の良い子だった。

ママ「あんたねぇ、こんないい子手放しちゃだめよ!!!」

私「これを180度の転向というのか…」

私もママも彼の人柄に心酔してしまったので、入居1週間くらいで本気でルームメイトすることを決心。

その後のことを考えても、人生ベスト5に入るほどの良決断だったと思う。

そんな折に、大学同期で、たまたま同じ都市で働き始めていた偏食王と再会。

偏食王がうちのアパートメントに入居するまでに恋愛沙汰とか犯罪沙汰とか修羅場とかいろいろあったけど、それはまた別のお話。

独断と偏見に満ちた米国事情~宗教編IV(ユダヤ男とアジア女の親和性)


副題に、「私がユダヤ人を選んだ理由」とつけてもいいかもしれない。歴史的背景について語る、小難しい恋バナです。

ステレオタイプかもしれないが、ユダヤ男とアジア女のカップルは多い。実際、大学でもオフィスでもその組み合わせは多かったし、私もDUKE時代、付き合うに至らなかったがアプローチをかけてきた白人の男は全員ユダヤ人だった。

で、なんでそんな彼らに中国系(日本系もちらほら)嫁や彼女が付くのかというと、答えは簡単だ。価値観が一致しまくるのだ。私は今まで、中国人、日本人、と付き合ってきたが、なぜかユダヤ系アメリカ人の偏食王と価値観が最も合うことに気づいた。

具体的に、いくつか要因があるが、主に以下の3つかと思う。

  1. アジア人の宗教的寛容性
  2. 家族に関する東アジア(特に華僑?)の価値観とユダヤ的価値観の親和性
  3. 教育的価値観の一致

まず、アジア人の宗教的寛容性について。前述したように、ユダヤ人家庭の宗教観、民族観は非常にかっちりしていて、生活習慣の隅々にそれが表れる。マジョリティである、クリスチャンの人たちと結ばれた場合、結構面倒らしい。例えば、子供が生まれた場合、ヘブライ教室に行かせるか日曜学校に行かせるか、サンタを信じさせるかハヌカのプレゼントを開けさせるか…の全てで揉める。アジア人でクリスチャンというのも最近は多いけれど、私も含め両親ともにコミュニスト育ちの大陸人や、大多数の日本人(実家は浄土真宗だけどクリスマスにはケーキを買ってチキンを食う人たち)にとって、それらの揉め事は皆無だ。もっとも、私はクリスマスのあの商業的な雰囲気が好きなので「冬至祭りだと思ってツリー飾っていい?」といつもゴネている。

ちなみに偏食王の恋愛遍歴は結構中国寄りで、「あんたはアジア専か」と問われて「そんな事はないが、クリスチャン女性とは価値観が合わず、ユダヤ人女性とは性格が合わない」とぼやいていた。ユダヤ人女性の性格が問題なのでなく、そもそも出会った頭数がそんなに多くない中で、性格合わないタイプしかいなかったのだと言う。ユダヤ人というのは少数派な上に、アジア人と違って見た目で顕著に判別できるわけでもなく(敢えて言えば東欧っぽい。ザッカーバーグ氏みたいなのがそれっぽいとは言われるが。そういえばザッカーバーグ氏の恋人もチャイニーズだw)、したがって大学なんかではユダヤ人ってだけであんまり群れたりしない。卒業後、共通の知り合いを指して、「そういえばあの子もユダヤ人よ。」「へえ知らなかった!」という会話はザラである。

交際開始時も、そういえば「あなた、最終的に同じ宗教じゃなきゃだめってことないわよね?」と釘を差したが、「別に構わない。ただ、子供はユダヤ式に育てたい」と返ってきた。この申し出に「いいんじゃない?」と答えられる人の中にアジア女性が多いのは自明だ。

次に、家族に関する東アジアの価値観とユダヤ的価値観の親和性。上述した会話に違和感を覚えた人、鋭いです。我々カップルが出会ったのはたかだか22、23歳の時。そこで交際開始しようかなんてロマンちっく?なときに、「最終的には…」とか「子供は…」とかいう非常に生き急いでる上に所帯じみた前提条件が取り交わされ、そこに二人とも疑問を覚えなかった。ここらに、東アジア的家族観とユダヤ的なそれの親和性が端的に表れている。キャリアやら何やらに心血注ぎつつ、家族を持ち子供によって己を存続させることを本能的に大事にする傾向とでも言えばいいのだろうか。まぁ人によって違いはあるが、ここでは我々は「キャリアは出来るだけ頑張るつもりだけど方向性はまだ未知数。だが30いくつまでに郊外に家買って子供2人くらい居る生活が欲しいことは決定している」とこで一致してしまった。

ここらは特に中国系移民と心情的にシンクロするものがある。ユダヤ民族(ここは敢えて民族とするが)は、紀元前に経験した亡国及びディアスポラにより世界に散り、民族的文化的宗教的慣習によりアンデンティティを確立してきた人々である。だから、血族はとても大事。己の家族も、己の子孫も、存続させていくことがとても大事。どんな環境でも。異民族に囲まれても、自分だけにしか出せない価値を叩き出してしぶとく生き残るべし!がスローガン。特に偏食王の家族は3世代前に米国に移住してきたのだが、移住することを選ばなかった一族の人々は、尽くホロコーストの犠牲になってしまった悲劇があるので、切実だ。

そんな姿勢が、近代に入ってから不安定続きだった中国に生まれ、2、3世代前から激動の人生ドラマに事欠かず、大陸を見限って外に出ていった中国系移民と見事にかぶるのだ。華僑というのは世界中に散っていて、ユダヤ人とはまた違うコンテクストだけれども、いわゆる「祖国」とは離れた場所で、血縁と文化とガッツでアンデンティティを保ちつつ、そこそこ成功している集団であるから。

さらにその繫がりで、教育的価値観が一致してくる。ところで、米国の大学入試はペーパーテストの点ではなく、日本のAO入試のように、成績、課外活動、文章力など、高校生活の「総合点」をみる傾向が年々強まっているが、それは影では、「点数で取らないのは、ハーバードなど有名大学の席を、ユダヤ人や中国人に総取りされないためじゃないの」と囁かれるくらい、ユダヤ系とアジア系の子供は歴史的に優秀である。ちょっと前に極端な教育論で物議をかもした『タイガーマザー』の娘二人も、そういやユダヤ系と中国系のハーフだし…(あれはアメリカ人の常識からいくらなんでも外れすぎだから旦那止めてやれよって思ったが)。

前述の歴史的背景から、「祖国を持たない(或いは信用出来ない)者として、物理的財産はいつ戦乱で消えるか没収されるか未知数だが、生きてさえいれば教育的成果は誰も奪えない」と地で考えるユダヤ人と、同じように考えつつ、かつ科挙文化の継承者たる華僑は、とりあえずめちゃめちゃ教育熱心だる場合が多い。詰め込み重視かそうでないかでちょっと揉める可能性はあるが(笑)。

他にも、商売が上手い民族とお互い言われている通りコスト感覚の一致(笑)とか、挙げればキリがないけれど、とりあえずここらで、米国でやたら存在感を放つユダヤ人という特殊な人々に対する考察を終えようと思う。

タイガー・マザー

独断と偏見に満ちた米国事情~宗教編III(アメリカのユダヤ人)


前回に引き続き、ユダヤ人の話。

偏食王はじめ、米国のそこかしこにいるユダヤ人ってどんな生き方してきたの?という視点で、彼らの生活について語ります。真面目そうに書いているけれど、実質上恋バナなので気にしないでください。

偏食王は、米国のイチ改革派ユダヤ人中流家庭(郊外に庭付き一戸建てみたいなステレオタイプそのまんまの)に生まれ、子供の頃はキリスト教の日曜学校ではなく、毎週土曜日のヘブライ教室に通って最低限のヘブライ語と祈祷や儀式の際の文句、及びヘブライ聖典(旧約聖書と内容がかぶるやつ)について教わる。しかし、子供の習い事なので、彼はこの内容は結構忘れており、旧約聖書を読み込んでいた私のほうが内容に詳しいくらいだった。

そこで聖典の特に物語性が強い内容のところでは私と争わないことに決めたらしい。そして、もちろん艶っぽい話や、聖典ではよくあることなんだが不条理に悲しい結末になった話などは、子供用の授業からは省かれていた。←ということを、本人は後に私との話で気づいて、爆笑していた。

彼も、他のユダヤ人の家の子と同じく、クリスマスは祝わない。もちろんメディアで散々喧伝されているサンタも信じない。そんな彼らに最近は公立の学校なんかも気を使って、冬休みをクリスマスホリデーとは言わず、ただホリデーシーズンと呼ぶ。政教分離だ。これで文句を言って来るアメリカンクリスチャンが結構いるからうざいんだけど。

けど、マジョリティであるクリスチャン家庭の子がプレゼントプレゼント騒ぐのに何も出ないのは哀れ、と、クリスマスシーズンに行われる、もとはユダヤ教のあんまし大きくないお祭りである、ハヌカがもてはやされ、そこでプレゼント交換ぽい習慣は普通に身についているみたいだ。ただし、クリスマス当日は、人々がサンタだ!セールだ!と騒いでいるのを尻目に、これみよがしに中華の出前を取る。空いている店がそこしかないからだそうだが、この「クリスマスに中華」って習慣自体が彼らにとってはお祭りに等しい。しかし、同じくキリスト教のお祭りであるはずの、バレンタインデーについては、何故か迷わずに祝っているんだけどこれについてはそっとしておくことにする。

ユダヤ人の子女は、13歳になるとBar Mitzvah (バー・ミツワー)という成人式を大々的に行う。一族郎党を呼んで、レストラン貸しきって、場合によってはエンターティナーも呼んでとりあえずお祝いをする。もちろん成人どころじゃないので家族の中で一人前として扱われるくらいの意味合いだが、どっかのテレビドラマでみたその光景は、ホテル貸切、ゲストはプロのレスラー招致…というなかなか大規模なものだった。偏食王はさすがにそこまでせず、レストランくらいだったらしいんだが、これは宗教に関心の深さにかかわらず、ユダヤ人の家の子なら皆通過するものらしい。

そして、「成人」してからは、過越祭(3月末~4月初)の一週間、炭水化物は発酵してないモッツァという味気ないクラッカーしか食べられないという妙な祭に参加することになる。モーゼの出エジプト記由来の祭りなのでもちろんめちゃめちゃ古い。これを、「自分はユダヤ人だ」という認識を持っているくらいの人なら、余程のことがない限り、決してサボらない。ユダヤ人の友達は大学から沢山いたが(偏食王も一応大学の同期だが)、「神ねぇ…いるんじゃないの、どっかに」レベルの人も、こういうのは欠かさない。幼い頃から民族的アイデンティティとともに習慣付けられているからだろう。

それら習慣がいちいち、マジョリティの白人とは一線を画すため、彼らはマイノリティという自覚を胸に生きるのだ。多かれ少なかれ。

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