MBA受験実況 其の三


先週、Kelloggから不合格通知。普通に予想通りだったので私はよかったんだが、偏食王はWL(補欠)になってちょっぴり落ち込んでいた。

無理もない。12月にHarvardを仲良く落ちて以来、私は一足先に1Rで出していたMITに合格したものの、彼は不安な気持ちを抑えながら前向きに頑張り、つい先々週まで全国飛び回って面接を頑張り、ようやく最後の面接終わって一息ついたと思ったら、届いた最初のニュースが朗報とは言い難いものだったから。

「全部落ちてたらどうしようか。さすがに面目が立たないよ」

無理もない。彼の会社の社費派遣は、Harvardの合格率が60%なのだ。たまにMBAを2年越しで受ける人間がいないでもないが、どこかサクっと合格するようなスマートさを無言で要求されているようなプレッシャーは常に抱えている。

「別にいいじゃん。そしたらボストンで一緒に住んで、もっかいHarvardに挑戦すれば」

言ってみてから、そんなのもいいなーなんて無責任に思ってしまった。彼も、全落ちなんて真っ暗な前提の未来なのに、一瞬はまんざらでもなさそうだった。格好よくはないが、幸せそうだ。そんな妄想も甚だしい、今日の昼下がり、

偏食王が、Stanford MBAに合格した!

実にめでたい。心の底から祝福したい。偏食王よ、あなたは偉い。

けど、同時に私は複雑だ。そして悔しい。複雑なのは、アメリカ大陸横断遠距離恋愛の可能性がめちゃめちゃ強まったこと。バークレーが補欠だが、どうなるのかなぁ…。

悔しい理由は、私が門前払いを食ったStanfordに彼が受かったことじゃない(もともと住む世界全然違うし≒競合ではない)。

恋人という、最も近くにいて信頼・理解し合う存在であるにも関わらず、私は偏食王がStanford受かるとは正直思ってなかったってとこだ。まぁ、合格率7%の、入る難しさ(及びクオリティでもたぶん)世界最高峰のMBAではあるけれど、もろもろに気の早い私が思い描いていた未来に、偏食王が本当にStanford行っちゃうというシナリオは想定されていなかった。完全に戦略ミスだ。私は悔しい。

たぶん、彼はStanfordに行くだろう。
そうしたら私は、前向きに応援してあげるしかない。

嗚呼、向こう一ヶ月は人生がいろいろ動きそうで、楽しみだけど恐ろしい。

『十二国記』との決着–『月の影 影の海』


女子校時代、この『十二国記』という中華系の匂いのするファンタジーが周りで割りと人気だった。私は当時、中国語のクラシックなちゃんばら小説である金庸とか古龍とかを中国語維持のために読みまくっていたし、『封神演義』も子供の頃から親しんでいる話としてずっと好きだったので、自然とそこらで話が合う友達は、『十二国記』を通過したことがある、のが一般的だった。

しかし、私は読む前から胡散臭いと思って遠ざけていた。

日本人作家による中華系ファンタジーは田中芳樹のやつだけでお腹いっぱいだったし、少なくともあれは登場人物は実際の神話あたりから来ているのに対し、これの主人公が「中嶋陽子」とはこれ如何に?そして、国が十二個もある時代なんか伝承でも歴史でも聞いたことがない。

西王母が出てくるらしいのは伝わったが、あれは神話系の話の中では、やたら頭固くて秩序ばっかり重んじる小煩くて性格悪い姑みたいなおばちゃんと相場が決まっているので(例:実際、『白蛇伝』でも『西遊記』でも『東遊記』でも、差別的で色恋沙汰に理解がなくて嫌なおばちゃんだった)、この話でも『中嶋陽子』という、全く強くなさそうな名前の日本人のイビられ嫁が苦労する話なのかと早とちりした。

けれど、仲のいい友達は言い切った。

「そんなん違う違う。とりあえず、読んでみな!一晴ちゃんは絶対好きだと思う!」

そこまで言われては、と、学校帰りに横浜の有隣堂で、『月の影 影の海』を手に取った。16歳くらいの時だったか。その後、どうなったかは、割りとはっきり覚えている。

まず、3ページ目にして、

くそおやじ が あらわれた!

私は、自分の父親が教育熱心なのに慣らされたせいか、この手のくそおやじが大嫌いだ。実物は幸いにして見たことはないが、フィクションの世界でたまに見聞きするたびに、血が逆流しそうなほどの嫌悪感をおぼえる。女という理由で「学力に見合った学校に行かせない」「ズボンを履かせない」「失踪したのに髪色がどうの、男がどうのと勘ぐる」……これは厳しいとかそういう問題じゃない、子供の人生を握っていながら、子供の幸せすら願っていない、無知無能な家長気取りの矮小な男だ。フェミなどの問題ではなく、子供が男であったとしても、別の意味で不幸になりそうだ。

山岸凉子の『天人唐草』の父親もたしかこんなんだったか。あの親父もしょうもなかったが、描写はLess露骨だったのでそこまでの嫌悪は覚えなかったものの、異世界にも行けなかった娘の末路は考えつく限りの不幸の寄せ集めだし。ねぇ。

『魔性の子』の泰麒の親といい、作者はしょうもなく無知無能・思考停止・頑迷かつ怯懦な人間を主人公たちの親に据えることを試練の一種とでも考えているらしいが、私のような読者の脳血管をふっ飛ばして何が面白いんだろう、と問い詰めたくなる。まあ、あれは饕餮に美味しく食されてくれたので多少胸がすいたが、陽子父もデザートにどうだ?(笑)

しかし、そこは横浜の有隣堂内なので、売り物を放るわけにもいかない。だが、気に入ったら買う予定だった本には違いないが、こんなくそおやじが生息している書物にはびた一文払いたくない。かといって、続きは気になる……ジレンマを引きずりながら、とりあえず読み進めることに。

翌日、なんだかとてもげんなりして、薦めてくれた友達に

「あのくそおやじがいつか死ぬ話が続きにあったら読むことにするよ……」

と言い捨てて、『十二国記』シリーズは綺麗に頭から抹消しようとしたが、嫌なことを忘れる才能に恵まれていないので、やたら悪い後味は残り続けた。もやもやと。

それから約10年後の先日、暇に任せたのか、ふと思いついて『十二国記』のWikipedia記事を読んでみた。複雑に入り組んだ登場人物の関係もその背景世界も、実にわかり易くWikipediaは解説してくれたが、私がこのシリーズに対して抱く感情は、やっぱり、

It’s Interesting. But I hate it with burning passion.

何かを強烈に好きなのと同じように、強烈に、それも一筆書きたいほど嫌うというのも、人生においては貴重な経験に違いない。だが、飛ばし読みとWikipediaだけでは少し論拠に欠けるとの謗りを免れないだろう。特に根強いファンも多い話だし。

ということで、紀伊國屋書店からこのシリーズを大人買いしてしまった。
これを読んで、私は『十二国記』に対し、十年越しの決着を付けようと思う。つまり、この世界や物語に対する嫌悪感の正体を言語化することによって、もやもやを払拭するということだ。

Wikipedia知識で考えてみたい項目は、主に以下のこと:
1. 主人公も主要人物も、性格設定に無理がありすぎて、魅力を感じるのが難しい。特定の登場人物がアスペぽいのは物語でも強調されているが、人物の大半がコミュ障である疑惑を検証してみたい。

2. 青少年向けの読み物らしく、成長譚が主なテーマだが、成長カーブに無理がある。怯懦で引っ込み思案の主人公が、数日間アドレナリン分泌が多い環境下に置かれたからといって、とても話の最終形態のぶっきらぼう且つ男ぽいキャラになるとは思えない。

3. 世界観が、共感を許さぬ不気味な箱庭のようだ。ファンタジーにも関わらず、なんなのこのDystopiaっぷり。ハイ・ファンタジーは世界の自由度が高い故に、非常に不愉快な方向に歪んだ作者の微妙な箱庭療法の現場を見せられたような気分になることがある。その後を引くもやもや感が何年もぬぐいきれず、こうして愚痴ってるわけなんだが。

4. 生殖行為が生殖に繋がらないのに男女の別がある世界のシステムは、もうちょっと違う感じになると思うんだが、これいかに。同じ不条理なファンタジーでも『氷と炎』シリーズは大好きだが、それは様々な制約あれど人間が一応ちゃんと三大欲求で動いているためであろう。

5. 『覿面の罪』及び他国との戦争の制限はそれ、チートというかご都合主義というか…。国防の心配もなく、領土拡大も無理な世界でのリーダーシップってそりゃ内面的になるわなぁ。はあ(ため息)。

6. 登場人物が苦労して成長して何かを掴む話は本来カタルシスを伴い娯楽性が高いものであるはずであるのに、この取って付けたような説教臭さはなんなの?もともと暗くてネガティブな人間(たぶん作者の分身)が、別の種類の暗くてネガティブな人間に「お前ネガティブすぎるんだよ!そんなんじゃ生きていけねーよ!」って説教しているみたいな。説教元もどうせネガティブじゃん。ドヤ顔すんなよ。

7. 人物の名前が多すぎる。どんだけ混乱したと思ってんだ。二つ名なんかは楽しいのはわかるが、姓、名、字までにするべきであった。氏まで入れるのはやりすぎ。下手な話、「オレは張三だ、でも李四って呼んでくれ。よろしくな」くらいに荒唐無稽w 張三李四の滑稽さがわからない人は、まぁ直接的な意訳の以下を参照「オレは鈴木一郎だ。でも佐藤三郎って名乗ることにしたんだ。よろしくな。」

8. もしかして、ここらも全部含めて作者の術中?「嫌いなら読まなきゃいい」という声が聞こえてきそうだが、そういう言い方が通用するのは個人的には「つまらないなら読まなきゃいい」だ。色んな感情を掻き立てられる上、つまらないわけではないので読んでしまう。「嫌い過ぎて一筆書きたくなる」ものを作るのも普通に才能だと思うのよね。

とりあえず、今はこんな感じで考えているが、紀伊国屋から本が届いたらもうちょっと深く掘り下げて行こうと思う。

月の影 影の海〈上〉 十二国記 (講談社X文庫―ホワイトハート)

月の影 影の海〈下〉 十二国記 (講談社X文庫―ホワイトハート)

「社畜」ってのは、要するにMなんでしょ?


扇情的なタイトルだが、粛々と母校のネタで導入しよう。

ご存知のようにフェリス女学院は元祖外資系クリスチャンの学校なので、宗教的なことを考えるイベントが、定期的に行われる。とはいえ、生徒のほとんどがクリスチャンではない以上、信仰の話などではなく、むしろ宗教的な価値観に基づいて倫理的な問題を考えてみようという、ある程度有意義な会合になることが多い(←宣伝w)。

そういうイベントは、割りと楽しんで参加していた方だが、キリスト教の中で最も自分と相容れない価値観のひとつにも、出会ってしまった。学校の招待したどこぞの牧師先生のスピーチに曰く、

「わたしたち人間は、か弱く愚かな羊の群れであり、主はそんなわたしたちの牧者なのです―」

今思い返せば、人間が絶対者の前ではアホな羊の群れであるというアナロジーを思いついた上で万人に説いた誰かさんの気持ちもとてもよくわかるんだが、

ちょっとお待ちください―と、14歳の私は声を挙げた。

「牧者に導かれると言えば聞こえはいいのですが、わたしたち人間を無力かつアホな羊の群れであると例えるのはあまりにあんまりではありませんか?

羊をはじめ、家畜っていうのは、所有者の都合によって自由を奪われ、肥え太らされ、毛や角を刈られ、そんなおのれの立場も認識することないまま、従順であるよう犬に見張られ時に互いを監視しあい、また所有者の冠婚葬祭の際などに屠られ美味しく食されるのを待つ存在です。ほら、聖書でも随所に祝いの際には肥えた羊を屠ってるじゃないですか。とてもめでたそうに。

確かに、きれいな水場や青い草原に導いてくれて、野獣からも守ってくれる、優しそうな牧者に憧れ愛するのはわかるけれど、だからといって自由意志を持ちおのれの人生を主宰する立場にあるはずの人間が、絶対者の家畜に甘んじていいはずがないではないですか。そんなん、ただのMじゃないですか―」

と、私は……もちろん言わなかった。が、おそらく14歳らしくはないが、同じような意味のことをもっともやもやが残る形で表現しようとしたと思う。だが、骨の髄まで立派なキリスト者であっただろう、その牧師さまは、ただ苦笑した。

「でもね、牧者にとって、羊って可愛いものなんですよ」と。

答えになってない(笑)。
そりゃ、可愛いだろう。都合が良すぎて笑っちゃう存在なんだから。

現代日本では、特定の会社員を「社畜」と呼んで皮肉っているらしい。奴隷ではなく、家畜。

奴隷だって人間なので、あまりに所有者の扱いが悪いと、命がけで反乱を起こしたり逃げたりするもんだが、すすんで運命を受け入れている家畜は自ら主張する言葉すら持たず、逃げようものなら柵の外で野獣に喰われるものと信じて疑わず、理不尽に扱われると病気になったり鬱になったり、それがもとで死んだりするだけで、家畜をやめることはできない。奴隷制度を非人道的ゆえにやめよう、と歴史の各所で人は努力してきたが、家畜そのものをなくそうとした人は、ラディカルなVegan(卵も乳製品も食べないベジタリアン)以外聞いたことがない。病気や鬱になると、肉質も悪くなるので、扱いをマシにしようと、多少反省するだけだ。

米ウォール街の投資銀行新米アナリストは、自らの仕事を奴隷労働と揶揄することが多々あり、陽の目を見られず、深夜まで明け方まで、理不尽なボスたちに体をいいように酷使される引き換えに人より多い賃金が手に入るその職位を売春婦になぞらえた子もいた。だが、いくら彼らがこんな自虐を言おうとも、その目は多額のボーナスと、この過酷な経験をベースにして成長したおのれが将来得られるであろう、さらに多額の金に向けられている(そうでなきゃあんな仕事する意味わかんないw)。景気が悪いので、競争は激しくなるばかりだが、賢いのでプランBとかCも考えているだろう。

逆に、そんなんやってられるかと思うなら、彼らの1/2以下の給料で細々やっていけるけれども夕食までに家族に会えるような職のオプションが、大卒者には用意されている(まさに今の私のように)。これも景気が悪いから大変なことにかわりはないが、浮いた自由時間でスキルを磨くなりしつつ、キャリア市場で差別化を図るとかいろいろできることはある。また、学歴が低く、スキルを持たない者の賃金は低いが、彼らもその賃金に見合う労働しか提供しない。

つまり、こっちでは、学歴や収入の上下に関係なく、見返りの分だけ、働いている。別にアメリカマンセーではなく、本来なら、人間誰しもそうでなきゃ、気持ちが悪い。話を聞くに、社畜とはどうやら自分の認識する見返り以上に仕事をし、それなのに色々と正当な権利を主張することが憚られる状態にあるという。

私は社畜ってのがどういうものか、伝聞によってしか存じ上げない。
だが、Elm200さんによると、端的にはこういうことらしい。

日本人を苦しめる「仕事は家族より優先」という異常な発想

たとえば、自分のビジネスを大きくして、将来大金持ちになり、それで家族を楽にしてやろう、そのためにいまは家族との時間を犠牲にしても頑張る、というならまだわかる。しかし、そういうビジョンもなく、一生サラリーマンとして安月給に甘んじながら労働時間だけ長いというのは、本人たちには気の毒だが、滑稽としかいいようがない。(中略)サービス残業なんていうカネにもならない長時間労働をやっているのは日本人しかない。アメリカ人や中国人には理解不可能だろう。

 
そうだとしたら、何か目に見えないものが、彼らの心のバランスを取っているはずだ。

その「見返り」と「労働及び忍耐」の差異は、一体どこにあるのかと考えて、冒頭の「神と羊の群れ」の例えが浮かんだ。宗教が心の処方箋であるように、賃金も家族との時間も奪われているというのに、「辞令一枚で地の果てまで飛ぶ」「熱があっても休めない」「サービス残業」「有給が取れない」理由を、「フッ(苦笑)、それが社会人だから」と答える人々の心には、ある種の宗教じみた思い込みと、マゾヒスティックな快感、停滞による安心感があるのではないか。

鍵をかけた寝室の向こうで、どういった被虐加虐プレイで快感を得るのも本人の幸せだが、私のごく少ない人生経験から、これだけは言える。

人生そのものを被虐プレイにした上に、それに家族まで巻き込んだりする行為は、確実に不幸にしか呼ばないよ、と。

それにしても、14歳の私は、どうしてひつじ論にそんなに反発したのか。

たぶん、家庭教育のせいだ。
父親が、私の幼い頃から本当に口を酸っぱく、それこそ家訓のように繰り返し語った故事が、以下だ。

「ブタとイノシシがいた。人間は、イノシシの一部を家畜化し、それがブタになった。ブタが厩舎の中で、人間からエサを与えられ、肥え太るにまかせ、悩みもなくオオカミからも守られる快適な生活を送っていた頃、イノシシは野で駆けずり回って食べ物を探し、子どもを命がけで野獣から守り、あくせく苦労していた。だが、時が来て、ブタは屠られて人間の食卓に並んだが、イノシシは苦労した分強くなったので、どこまでも自由だった。

君はどっちの生き方がしたい?」

日本で万人向けに被虐プレイではない、合理的なキャリアチョイスのノウハウを発信した本で有名なのは、とりあえずこれだよね。
無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法

これからの更新予定


また更新が滞ってしまった。

私のようにしつこい文章の書き方をする人ならわかってもらえると思うが、過去に気合をいれて書いた記事なんかのクオリティを慮り、なかなかちょっとした思いついた短文とか今日の夕食とか気安いタイトルを入れにくい弊害がある。そこは反省。価値があるかどうかは読者が決めることだ。

そして、ぼーっとしている時など文章は頭に浮かんでくるけれど腱鞘炎寸前の指ではタイプするのが億劫になってしまう。ああタイピストが欲しい。誰か面倒くさがりブロガーのために安価なタイピストサービスを立ち上げてくれまいか。シリコンバレーあたりで。機械でいいからさ。

そんなわけで、今自分の中に溜まっているがアウトプットできていないブログ記事のリストを、おのれにプレッシャーかけるために晒してみることにする。

1. 社畜が社畜と呼ばれるのはMだからだ

2. 『内定取消』~そりゃ取り消したくもなるわな

3. 私に公立小学校の怨嗟を吐かせたら止まらない~学校でのいじめとその対応に関する国際的考察編

4. トゥゲッターに挙げた教育的価値観の文章化→和僑カフェとその教育的価値観

5. 独断と偏見に満ちた米国事情~勉強編II(基礎ゾンビ学)

6. 『十二国記』と7年越しの決着をつける

6つも溜まってんのか・・・筆不精はつくづくもったいないな。

そんなわけで、今夜から頑張ります。

私の価値観、特に教育なんかについて。


タイトルのようなことに対する本音を、Twitterでつぶやきまくったら、結構反響があったので、ここでも紹介してみる。

仕事が忙しく、仕事終わってからは読書し中華ドラマを見る日々(中国語をキープするのに随時必要)だったので、なかなか切り替えができず、文章もまとまらないでいたが、とりあえずそこらをまとめたTogetterを紹介しておく。

和僑カフェとその教育的価値観

週末にはちゃんと文章にするねー。

MBA受験実況 其の二


そんなわけで、またいくつか結果出たので更新します。

まず、Wharton落ちました。見事な門前払いです。面接にも呼ばれなかったのはこことStanfordだけですね。締め切り1週間前に受験を決意して、その後もやる気なかったのバレたんでしょうか。風のうわさでは、「受験者の半分を面接に呼んで問題になったので(なんか卒業生面接官がヘマしたらしい?)、面接招待を2割に減らした」らしいですが、よくわかりません・・・。

そして、本日 UC BerkeleyのHaasの発表日で、本当なら発表日1週間前から電話で合格発表していくので有名な学校が本日まで連絡来ないのは碌なことじゃないに違いないとか思いつつ鬱屈とした気持ちで待っていたら、なんと落ちてはおらず、補欠(Waitlist)でしたオチ。ここは、たぶんTOP校の中では最も長いWaitlistを持っていて繰り上げ率も高いはずなんだけど(カウンセラーによると)、どうしたもんかなー。雰囲気も人もすごくしっくり来た学校だったから、ぜひとも受かっておきたかったんだけど。

ううぬ・・・。これで結果待ちはKelloggだけになってしまった。
ここも、正直受かる気がしない。好きな学校なんだけど、面接官とは相性がよくなかった気がするんだよなー。

ColumbiaもNYUもいい学校なんだけれど志望度のかなり高いMITに受かってしまったので面接は辞退することにした。たぶん、人生で一番贅沢かつ思い切りのいい決断だ。なにぶん、貧乏性なので。実際問題、偏食王がColumbiaの申請書類を出し忘れたのも痛いし、マンハッタンに住みながら私費MBAというのもお財布が痛すぎるって事情もある。アドバイスを頂いた皆様、どうもありがとうございました。

なので、現在の受験戦績は以下の通りです。ステータスが多彩なのは勘弁して下さい。

【合格】
MIT Sloan ←99%ここに行きます。

【面接済みの最終結果待ち】
Kellogg (North Western) ←感触が超微妙

【Wailtlist(補欠)】
Haas (UC Berkeley) ←。゚ヽ(゚`Д´゚)ノ゚。ウァァァン

【面接招待が来たが、辞退の予定】
Columbia Business School
NYU Stern

【面接後、不合格】
Harvard Business School

【面接にも呼ばれず、門前払い】
Stanford GSB
Wharton (U Penn)

こうして振り返ってみると、早い段階から理由もなく「ここいいねー」と思っている学校に入れたり、逆にその学校にしか入れなかったりすることがある。思えば、Dukeもそうだった。嗚呼、アドミッションってやつは人の心が読めるのかと疑いたくなるくらいだ。このブログにMBA関連(特にバークレーのwww)の検索で来ている皆さん、一晴はWaitlistなんですけどこれからもご贔屓に・・・。

 

独断と偏見に満ちた米国事情~勉強編I


読者の皆さん、こんばんは。
今回は、アメリカ大学の生活・勉強事情について語ってみたいと思う。

アメリカの大学は、地元通いでない場合、ほとんどが寮生活になる。17、8ではじめて親元を離れ、学生寮で生活を始める大学生がほとんどだ(ボーディングスクールと呼ばれる全寮制の私立に通うのも結構いるが)。その場合、まぁ想像つくと思うが、親御さん達も結構みんな心配なのだ。ちゃんと栄養バランス考えてご飯食べてるかな、とか。勉強ついていけてるかな、とか(実際、ついていけないことも多いが、それは高校の地域格差によるものが大きい。だが、成績は就職や大学院進学で非常に大事な要素なので、親御さんは成績を結構気にする)。変な友達とつるんでないかな、とか。馬鹿なことやってないかな、とか…。

そんな親御さんの心配がなんとなくわかってしまう手紙がある。大学1年生のシャロンちゃんが両親にあてた手紙―(下の方に日本語訳あり)

Dear Mom & Dad

Since I left for college I have been remiss in writing and I am sorry for my thoughtlessness in not having written before. I will bring you up to date now, but before you read on, please sit down. You are not to read any further unless you are sitting down, okay?

Well, then, I am getting along pretty well now. The skull fracture and the concussion I got when I jumped out the window of my dormitory when it caught fire shortly after my arrival here is pretty well healed now. I only spent two weeks in the hospital and now I can see almost normally and only get those sick headaches once a day. Fortunately, the fire in the dormitory, and my jump, was witnessed by an attendant at the gas station near the dorm, and he was the one who called the Fire Department and the Ambulance. He also visited me in the hospital and since I had nowhere to live because of the burnt out dormitory, he was kind enough to invite me to share his apartment with him. It’s really a basement room, but it’s kind of cute. He is a very kind boy and we have fallen deeply in love and are planning to get married. We haven’t got the exact date yet, but it will be before my pregnancy begins to show.

Yes Mum & Dad, I am pregnant. I know how much you are looking forward to being grandparents and I know you will welcome the baby and give it the same love and devotion and tender care you gave me when I was a child. The reason for the delay in our marriage is that my boyfriend has a minor infection which prevents us from passing our pre-marital blood tests and I carelessly caught it from him.

Now that I have brought you up to date, I want to tell you that there was no dormitory fire, I did not have concussion or skull fracture, I was not in hospital, I am not pregnant, I am not engaged, I am not infected and there is no boyfriend. However, I am getting a “D” in American History, and an “F” in Chemistry and I want you to see those marks in their proper perspective.

Your loving daughter

Sharon

 

日本語訳

親愛なるママとパパへ

お手紙遅れてごめんなさいね。大学に行ってから、文章を書く機会もめっきり少なくなってしまいましたもので、お手紙を書くなんてこと、しばらく思いつきませんでした。こちらの近況を報告したいと思います。けれど、ひとつだけお願い。このお手紙は、必ず座って読んで下さい。座る前にこの先を読んじゃだめよ?

ちゃんと座りましたね?

私はとても元気にやってます。この前、学生寮が火事になって、窓から飛び降りた時に頭を打ったんですが、その時の頭蓋骨のヒビからも脳震盪からも、だいぶ回復出来てます。たった2週間の入院で済みましたし、1日1回くらい吐き気を伴う頭痛がするだけなので、心配しないで下さいね。学生寮の火事と私の飛び降りの一部始終は、大学の側のガソリンスタンドの店員が目撃していて、その人が親切にも、消防車と救急車を呼んでくれたんです。彼は、私が入院しているときもお見舞いに来てくれて、学生寮から焼けだされて住むところのない私を、自分のアパートに迎え入れてくれたんです。正確には、地下室の一角なんですけど、それも結構、情緒あるのよ。彼はとても優しい人で、私達はすぐ深く愛しあうようになりまして、もうすぐ結婚することにしましたの。まだ日取りは決めかねているんですが、私のお腹が目立つ前には式を挙げたいと考えてます。

そうなんです、私のお腹には命が宿ってます。ママもパパも、おじいちゃんおばあちゃんになるのが待ちきれないのが手に取るようにわかります。私にしてくれたのと同じく、この子も愛情深く献身的に育ててくれるものと信じてるわ!結婚式の日取りがなかなか決まらないのは、婚約者の彼が、まあ、たいしたことないんですけど、性感染症に罹ってまして、結婚前の血液検査にひっかかりそうだからです。私もうっかり移されてしまったんですけど、すぐ治るので大丈夫よ。

さて、私の近況報告は以上です。本当のことを白状しますと、学生寮に火事などなく、私の頭蓋骨は無事で、入院なんかしてないの。もちろん妊娠も、婚約も、性感染症も彼氏もなにもかも嘘です。けれど、今度のアメリカ史のテストでD、化学でFを取ってしまいました。ただ、パパとママにこの成績のことを前向きに受け止めて欲しかったんです。

娘より、愛をこめて

しゃろん

なんじゃそりゃあああああ!!!

という叫びが聞こえてきそうなんだが、この文章は、れっきとしたDuke University心理学授業の教材であり、この手紙は、出典不明だが(単に忘れただけかも?)、有名かつ古典的かつ、卑近な心理戦の例だ。最後まで読んで、「…なんだそんなことか」とあなたに思わせたら、しゃろんの心理戦大勝利である。

別に私がとった授業では特に出て来なかったが、大学でFreshmanの時、友達のMusicが夜ののんびり勉強タイムにやたら興奮しながらやってきて、「これ読んでみw」とにやにや渡してくれた時の衝撃が忘れられない。

何が言いたいのかというと、アメリカの学部の授業は基本的に面白いってことだ。少なくとも、そうなるように頑張って工夫されている。なぜかというと、アメリカ人はこちらが驚くほど、「つまらない授業」に対する耐性がない。私が普通に「ああ今日も新しいことを学べた」と新鮮な気持ちで教室を出ても、友達などは隣で「あー、今日のあれ、超つまんなかった!あんな情報、本でも読めるしネットでも転がってるっての!教授はスライド棒読みだし!」なんてぼやいてるのはザラである。

時間中、100%意識を惹きつけられ、ぼーっとする暇など一瞬もなく知的好奇心(あるいは娯楽的興味)を掻き立てられ、理想を言えば学生側からもインプットできるような授業くらいでないと、彼らを面白い、とは言わせられないのだ。

さらに、ratemyprofessor.comと言って、教授の授業の質を5段階評価する学生用サイトというのもあって(全米、全カナダのあらゆる高校大学をカバーしている)、大学生が授業を取るときはたいていこのサイトの教授レビューを参考にするため、授業がつまらないのにあぐらをかいていると、下手したら教室に閑古鳥が鳴く。大きめの大学の数学とか物理とか経済とか、黙ってても誰もが一定数取る授業ならいざ知らず、ほとんどの授業は、学生の興味を掻き立てるように工夫されているのだ。少人数で学部しかないリベラルアーツ大学などは、教授=学部生を教えるもの、なのでその傾向はさらに顕著なはずである。

一応このブログも、日本の中高生の海外進学を支援しているので、これからはアメリカの大学の微妙な事情、面白いと思った授業を記憶ベースで辿っていきます…反響次第で。

そんなDukeの授業で、TOP5に入るほど面白い授業をしてくれたのが、行動経済学のDan Ariely教授だ。幸いにも、彼はベストセラー本を書いていて、私が説明するよりもこっちを読んだほうが早いので、是非お勧めしたい。世の中を見る目が、少し変わるかも知れない。

Predictably Irrational, Revised Intl

予想どおりに不合理[増補版]


MBA受験実況 其の一


このブログを始めてから約半月、そこそこ色んな方々に読んでもらっているようだが、入ってくる人の検索キーワードの9割がMBA受験関連であることに驚愕したので、期待に沿えるべく、現在進行中のMBA受験を実況していくことにした。

まず、「そんなんわかってるよ」という人は読み飛ばしてほしいのだが、MBA受験のプロセスは、こんな感じである。

1. 書類提出(10月又は1月):各種試験のスコア及び学校へのラブレターであるエッセイを期限までにオンラインで提出し、申請料を払う(1校$250。高い・・・><)

2. 面接: 書類審査を通過すると、面接(Interview)の招待メールが届く。Interviewまで行き着く確率は、だいたいの学校で約20%-30%。つまり、そこまでに70%-80%落とされる。そして、面接で実際に候補者を吟味して、そのさらに半分である10%-15%を合格させるのだ(TOP校が20%以上の合格率になることはない)。だから、面接に呼ばれたら、その学校の合格にリーチしたことになる。

というのは一般論で、Whartonのように申請者半分を面接する学校もあるにはある。そして、Kelloggは大例外で、申請者全員に面接の機会が与えられる。学校に合ったキャラかどうかを確認したいらしい。

3. 最終審査: 受験生は何も出来無い上に辛い時期。面接の結果及び申請書類の全体を、各学校のAdmission Officersがもう一度洗いざらい審議して、合否を決める。

4. 合否通知: これは学校によって違うが、主に電話とメール。

で、私はどの段階かというと、1の書類は全部出し終えたが、2の面接待ちと4の最終審査待ちを抱えている状況だ。早めに申請をしたMIT Sloanからは幸いにも合格することが出来ているので、そこまで気にしないで待っている状態だ。

で、そんなとこで、今朝、Columbia Business Schoolから面接の招待メールが来ました♥
ものすごいツンデレメールだったけど、結構嬉しかったりする。

なので、現在の受験状況を一覧にすると、こんな感じに。

【合格】
MIT Sloan

【面接済みの最終結果待ち】
Haas (UC Berkeley)
Kellogg (North Western)

【面接招待が来たが、まだ面接してない】
Columbia Business School
NYU Stern

【面接待ち】
Wharton (U Penn)

【面接後、不合格】
Harvard Business School (←結構悔しいw)

【面接にも呼ばれず、不合格】
Stanford GSB (←面接にも呼ばれないと、ある意味愛着もなくなるw)

独断と偏見に満ちた米国事情~食生活編プロローグ


先日、偏食王がにやにやしながら、勝ち誇って宣言した。

「一晴は、いつも僕のことを偏食王(King of the Picky Eaters)だなんて呼んでブログでネタにしていじくりまわしてるな。はっきり言わせてもらおう。偏食王の名は返上する!」

「お、なんですと。トマト食べられるようになったの?」

「いや、今回の仕事のメンバーが、3人とも僕より偏食だから(キリッ)」

そんなことがあり得るのか?

偏食王は、私が今まで出会った大人の中で、最悪の偏食である。

なにも、食感が大事ということらしく、Squishy=「噛んだ途端潰れる」タイプのあらゆる食材がアウトなのだ。ここで、ピーマン以外のナス科夏野菜全滅。生きゅうり以外の瓜系も全滅。調理した後に柔らかいのもダメ。じゃがいもに至っては、カリカリに揚げた場合のみセーフ。豚肉はベーコンなど、味付けが豚っぽくない場合以外ダメ。

つうか、日本風カレーと肉じゃがと豚汁の材料全部嫌いってどんだけ料理しづらいんだと。
(付き合って約3年、しゃきしゃき野菜使用料理のレパートリーだけ無駄に増えたよ・・・)

そんな彼より偏食って、どんなレベルなのか?

曰く、1人目は「アメリカの五歳児の好物しか食べない」=野菜は全滅、常食はフライドチキン、ハンバーガーのレタストマト抜き、ホットドッグ、及び飴とグミ。さぞかし不健康とおもいきや、ムキムキのマッチョで、足りない栄養素はビタミン剤で補うらしい。

2人目は「ド肉食」=こちらも野菜は全滅。とにかく野菜嫌い。植物性のものはリンゴしか食べないのだが、肉そのものの好みについては、「1人目より大人」らしい・・・。

3人目は「ベジタリアン」=こちらは野菜しか食べないのだから極端だ(卵、乳はOKだが)。菜食主義はいろんな事情や主義主張(e.g., 宗教、動物愛護、地球環境改善…etc)の結果であることが多いので一概に「偏食」とは言えないじゃないか、と偏食王に言ったら「でも、豚肉食べられないじゃん。僕は食べられるじゃん(一応)」という理屈らしい・・・。

ベジタリアンはともかく、最初の2人はどういう育てられ方したらこうなるんだ?

驚くべきことに(?)、アメリカではあらゆる所で、こういう手合いが珍しくないということも知った。

「高所得者ほど健康志向で、知識もあるので食生活も健康的。その逆はジャンクフードしか手に入らず、肥満の危険が」という、アメリカ内外に知られた一般認識だけでは片付けられない何かを感じたので(最初の2人も含めて高所得者の枠に入る)、自らの経験を踏まえ、独断と偏見に満ちた米国食生活シリーズを綴って行こうと思う。

私は、MBA終了後も米国にとどまり、普通に家買って子供産んで育てて行こうと考えている分、食に関するアメリカ文化全般の価値観のズレには結構敏感になってしまう。このシリーズは、国際結婚、及び米国での長期滞在、及び次世代の教育を視野に入れている人にとって、ちょこっとだけ参考になるかもしれない。

(さっきの続き)
偏「ほらね、僕は一応、好きな野菜は積極的に食べるし、健康に気を使って赤肉は控えてターキーばっかし食べてるし・・・」

私「でもさ、あなたの偏食自体は改善されず、相対的にKingじゃないって言うのならPrinceとかにするよ?偏食王子とかのが超絶カッコ悪いと思うけど」

偏「・・・うう」

というわけで、ここでは偏食王の称号は続行させときます♪

子育てシミュレーション


貧乏な家庭は、子供作っちゃだめですか?

こんな記事があったので。夫婦年収500万で子供作ったらかわいそうなのか、と考えてみた。
中学受験の話をしたら、「そんなんできる層ならいいけどさー」みたいな話にどうしてもなったので、半ば意地である。

今の日本で税引き前500万という数字がどうなんかよくわからないが、素直に換算するとアメリカではそこそこ以上の大学を出て企業で働くことになった新卒の初任給に満たない。エリートでもなんでもなく、ちょっと名前の知れてる企業なら、新卒でそれ以上もらえる。それで少ない!とみんなブーブー言うくらい。人的役務提供産業の場合、名前が知れてなかったら余計高給だったりもする。人材とられたくないって。

あ、だからアメ人は大学出てすぐ結婚とかするのか。節税にもなるしな。

しかし、ここで言っているのは30代後半の夫婦合算でしかもこれ以上になる気配はなさそな前提。アメリカなら、ロウアーミドルだな。主に心配していた事柄としては、「子供の学力は親の年収で決まるし(塾行かせられない)、DSとか携帯持ってないと子供が仲間はずれにされるかもしれないし、ぶっちゃけ貧乏だといじめられるし・・・」とかそういうこと。

自分だったらどうするかと小一時間考えてみた。←勉強しろ。

まず、学力の問題。たしかに金の都合でそれを無視すると子供の進路に大きく障る。
高校受験は概念的に嫌いだし(内申とかさ。あと思春期の不安定さとか)どうしても中学受験くらいはさせたい。最近は都立とか県立の一貫校もあるし、もちろん国立もある。しかし、私の時代で日能研は年間70万強くらいしたはずだ。雑費を含めたら一年で100万はくだらないという。貯金を積み立ててない限りちょっと苦しい。

だからといって断念するのは芸がないので金がないなりのプランを考えてみる。
まず、就学前後から時間かけて本読ませたり(図書館だからタダ)何年か先までの算数ドリル(300円)買って一緒にやったり学習習慣つけて勉強好きにさせて。

ここで、「本をおいておけば読んでくれる」「問題集を置いておけば解いてくれる」自主性を勝ち取ったらあとは楽なはず。

然るべきときに通信で受験教材を入手し(授業よりはるかに安価)、公開模試をペースメーカーに勉強させ、公開模試会場で受験友達もつくらせてモチベを維持する、と。受験の専門家に話を聞いてみたんだが、中学受験の大手塾には結構無駄が多いらしい。定期模試とテキストと問題集だけあれば足りるのに、だって。でも、大学受験でさえ、自習でやり切るには膨大なモチベが要るから、大変だと思うけど…。

なので、ここは親が高額な先生のついてない子供の質問とストレスのはけ口、そしてモチベ維持装置にならないといけない。強いられる犠牲は多大。だが、そこそこの中高一貫に行かせたら面倒見もいいし次に塾の心配をするのは大学受験のときでいいので(一部の国立除き)そこは一時の我慢と諦める。見返りも大きいから。

夏季、春期講習くらいは行かせてもいいのかな・・・あれは新しいことは教えず短期間で復習ばかりするから効率がいいかもしれない。消化にもなるし。

以上で、子供の学力次第(と、私の努力次第)だけど国公立一貫のどっかにひっかかってくれればあとは楽なはず。小さい子供にそんなに勉強させて・・・と批判する人々もいるけど思春期の繊細で不安定な時期より11,12歳のほうが気が散ることなく勉強するのに適してると思うのよね。思い返してみても。

ここまで「IQも自主性も平均ちょい上の子供」を想定してみた。その両者がもっと高かったら苦労も半減するかもしれないけどそれは運だしなぁ。

次に、友達の問題。
高価なおもちゃを買い与える経済的余裕がなければ話題についていけず、貧乏くさい格好をさせていたらいじめられる・・・。

これはもっと簡単だ。価値観の問題だし。そもそも金持ちの子でもゲーム禁止とかざらにいると思うんだけど?フェリスの友達でもゲーム持ってなくて苦労したことないとかザラに言ってる子沢山いるし。

そんな友達はいらないという結論を提示したいのはやまやまだけど、私も小学生のとき自分のスーファミで『ゼル伝』と『マリオ』と『FF4』にちょっとくらい触ってなかったらやっぱり拗ねていたと思うのでここは妥協する。留学してから、アメリカ人の子供も大抵子供の時ゼルダやってた!とかで盛り上がったこと多し。だから、ゲームは推進派。
けど、DSや携帯(特に携帯!)はまずい。何度も言うが携帯はまずい。無意味なコミュニケーションの奴隷になっちまう。メール即レスとか。小文字とか使い出したら受験にも障るし。

妥協案としてBookOffで中古のWiiを購入し中古ソフトも購入し「友達呼んでいいよ。ただしひとりでやるのはだめよ」というのはどうだろう。携帯は通話機能しかついてない安価なものでお茶をにごし、「目に悪いからDSと携帯メールは禁止」と言い訳させれば完璧。

それでも友達との話題がとか言うのであれば、地域の個人でやってるような月謝1万以下の書道教室とかそろばん教室に行かせて年上の友達をつくってもらえばよろしい。世界が広がるぜ。素敵じゃないか、小学生そこそこでいろんな歳の人と遊べるの。字が綺麗なのは筆記試験でとても大事だし、そろばんできれば四則演算は完璧だし、一石多鳥。

地域でやってるようなスポーツ教室も考えたけど、やたら強くて「みんなと一緒に全国に行くんだ!」と目を輝かせてもらっても困るし(ほんとに才能あるならともかく)、ばりばりの体育会系組織は子供なのに罵倒されたり殴られたりするし(自分の小学生の時に目撃してどん引きした)。

自分の子どもが他人に殴られたりしたら私は性格的に確実に10倍返しを目論むのでそういうのには最初から近づかないでおくことにする。

貧乏くさい格好が・・・というのは意識の問題で、最近はユニクロもあるし子供服は高いけど価格破壊も激しいし、最悪ひとのお古もらっても、毎日こざっぱりしてりゃ目立つこともないだろうと考える。制服時代は服代かからないしさ。

貧乏だからいじめられるってそもそも前提として成立しないだろし。寒くても靴下なしで服に穴が空いててぶっちゃけ臭いとかいうのは年収500万なら回避できるシチュエーションだし、バーバリーとか着てなくても勉強できたり字が綺麗だったり性格に問題がなかったりしたら普通にいじめられることはないと思うんだがなぁ。あ、妬みとかはあるだろうけど。それは仕方ない。

と、いろいろ長々とシミュレートしてみたけど、子育て計画楽しいな!(おい)
結論として金なくても親に一定の教養、センス、計画性、及び犠牲を払う覚悟さえあれば以上のように子供に多大ながまんを強いなくても人並み以上に育てることはできると思う。

学力のあたりはハードル高いかもしれないけど、あくまで私の価値観(ただの公立と高校受験が嫌い、子供には一流大学に入れるだけの機会を用意すべし、みたいな)を無理やり反映したものなのでそこまで難しくないだろうし。

というわけで悲観せずに普通に頑張ればいいと思うよ。

そして、子供の手を握り、この本を片手に、図書館へ直行するのだ!!!

新訂版 中学入試にでる名作100