Trackと選択科目と、最近、毎日更新を目標にしている理由。


焼酎の入った小さなグラスを、ビールのジョッキに突き落とす。とっても危険なドリンクの出来上がり。

昨晩も書いていて、今朝も書いている。よく飽きないもんだと自分でも不思議だ。

実は、昨晩書き忘れたのがTrackと選択科目の話。MITではCoreと呼ばれる必修科目がすべて1学期目に詰め込まれている(学校によって違う。HarvardやStanfordは1年まるごと必修)けれど、Electiveという選択科目もひとつ取れる。去年まではFinanceとMarketingからひとつ選べるのみだったが、今年からはStrategyとOperationsも合わせて選択肢が4つになった。MITのOperationsに前から興味があったので第一希望にしていた(Financeはコンサル就活の足しにならない上に勉強量が多いので敬遠)。

あと、TrackというのはMBAの中でも例えばFinanceやInnovationを重点的に学びたい人に用意されたCourseの組み合わせで、Sloanの大先輩、LilacさんのやっていたE&I(起業とイノベーション)が有名かつ一番人気であるが、私は今年できたばかりのEnterprise Managementというのを選択(EM)。

移転価格コンサルを3年弱やって、色んなビジネスがロジ的にどうやって(How)進められているかなんとなく理解しつつ、経営者視点でなぜ(Why)が知識・経験不足でイマイチ実感できないとぼやいたら偏食王に「そんなん実感出来てたらMBAとか行かなくていいだろ」と言われ、たとえ勉強量が多くなったとしても、一番RelevantなTrackを選んだ。

そうしたら、一昨日、MITのAdministrationから「Electiveは全員第一志望にアサイン出来たしEMを選んだ人も全員Approveされました!」という報告。いろいろ順調に進んでいて何よりだ。

…というあたりで、MITに到着して初めての食料品買い出しに行く。結局一緒に行ったMIT奥様たちと出身中高ネタ(全員クリスチャンの女子校w)で盛り上がってしまって、あとUSでは甘くておいしいメロン(硬いけど)が美味で安いということを証明するためにメロンしか腹に入れずに韓国人が主宰する焼肉パーティーに流れる→結構肉を入れた腹に生まれて初めて焼酎Bomb(焼酎をビールにぶっこんだもの)を入れ、良い感じの気分に(今ココ)。

そう、どうして毎日更新を目標にしているか、ちょっとおもしろい経緯があるので書いてみたかった。

私は筆不精なので、激情にかられるか、ものすごくやる気が沸くか、怒りが発酵して言語化されるかしないと満足行く文章が書けない。けれど、今度MITに行くというので挨拶に行った尊敬する人生の先輩方複数に「もっと書きなよ」と勧められてどうしたものかと迷っていた。そんなところで、ある方から面白いことを聞いた。

とても優秀なその方の頭の中では、常にすべての物事が言語化されて回っているというのである。

その会合のあと、実際自分でもやってみた。すべての感知する事柄を言語として頭で回してみたが、結果としてそれはとてもうるさかった。未熟なセンテンスが頭をぐるぐるするほどこっ恥ずかしくて仕方ないと思い、もっと洒落た言い回しを自分の頭で組み立てながら考えることにした…ら、なんと突然うるさいと感じなくなったのである。

なるほど、と思った。常に洗練された、誰かに読ませてもいいようなセンテンスに、感知したばかりのことを変換するクセをつけるのは何か筋トレに近いものがあり、私が最近やっているようにクオリティを一時的に放棄しても最低限のアウトプットは常に出せるという訓練を続ければ言語化能力は自然と鍛えられるだろう。そして、アンテナの張り方が広がり、感覚が鋭くなり、従来よりも沢山のことをOpenな気持ちで受け入れられるようになると思う。それは、とても大きなBebefitである。

そう納得して、稚拙でもInsightがなくても読者が読んで何も得られそうになくても、私はなんとか続けることにしている。

Case Prep, 教育,ロブスター。そして更にPartyは続く・・・


写真はただのイメージです。

昨日は2年生が毎週集まっている飲み屋に便乗してダーツなんかやりながら日付が変わるまで騒いで喉を枯らし、今日は学校主宰のClam Bakeというロブスターのまるごと出る宴会に参加したけれど二次会でやはり声を失った。さすがに月曜から休まず毎日Partyはヤバイと思い直し、今日は日付が変わる前に帰ってこんなのを書いている。

起こっていることを真面目に記そうとしたらなんというかいつまでかかるかわからないので、非常にテキトーに書き連ねていくことにする。(真面目に記したことなどないではないかという声がいろんなとこから聞こえてきそうであるが)

まず、8/22の午後は、非正式オリエンテーションの一貫としてCase形式授業を受ける際の心構えと模擬演習を本物のCommunicationsの教授が教えるオープンな講座に出席。最初の半分は、発言の準備、心構え、マナー、ストラテジー、「聞く」ことの大切さ、チームメイトの活用法などをかなり優しく詳しく教えてくれて、何より驚いたのが、「忙しすぎてCaseを読まずに授業に出ることは誰でもある。そんな時にもし最初に当てられて手も足も出なかったら時間の無駄なので素直に認めてしまえ。担当教授も5秒くらいは気分を害するかもしれないが、次の授業で取り返せばいい。授業の途中で皆の話を聞いているうちに言いたいことが出てくるはずだから、自分なりの方法で発言が出来ないか模索すべし」というTake away. この一連の至極具体的な話で、クラスの雰囲気がなごみまくり発言のハードルが下がり、結果的に模擬演習の時にはほとんど全員の手が挙がり、発言しまくり授業に対する心理的壁をとりあえずは乗り越えたのが有難かった。

夜はまたさらにランダムな飲み会に行ったつもりが、教育NPO(Summer Search Boston=低所得層の高校生の大学入学支援)で働いていた米人の既婚姉さんとインド系の男の子、更にTeach for America所属だった男の子x2にまた出会ってしまい、教育関係者とどうしてこうも出会ってしまうのか、これは何かの縁に違いないと思い立ってSloanで教育に関心がある人の集会をFacebookに作ってしまった。今のところ、メンバーは6人。私が一番本物の教育に関わってないw

でも、男の子たちはすごくアクティブで、在学中にボストン地区で何か格差是正系のイニシアチブをやろうぜ!と真剣に検討。実際授業の一貫であるコンサルティングプロジェクトとしてNPOを選ぶ人は結構いるらしいので、何かできるかもしれない。

眠気がすごいので、本日はここまで。明日こそ猫を視察に行けるのか!?

Partyの季節と猫の話


これがうちの猫になるのか!?(写真はあくまでイメージです)

昨日は早速、Happy BellyというSloanのグルメ連合?みたいなグループが主宰する新歓北京ダックディナーに参加してきた。中華街のKing Fungという隠れ家的なものすごーく小さなお店だけれど、ダックづくしのコースを用意してくれてかつ、料理がひとりあたま$20なのでお得なのだ(量がものすごい多い)。しかも、酒は「勝手に持ち込んでくれ」制。

そんな穴場感が満載すぎるお店で30人くらい新入生とダックを食したのだが、店がぎゅうぎゅうのため周りにいた3人くらいとしか話ができず(TT)、それ自体は残念だがそのうち数人と意気投合してその後も飲みに行き、今夜もまた飲むので焦らず、徐々に友人ベースを広げていけばいいかなと。そのうちひとりのABCの男の子は近くに住んでいて料理が趣味なので(二次会のグループで部屋にお邪魔したら本格的なミキサーや鍋が多量にあったので本気タイプだと思う)タイミングが合ったら一緒に買い出しに行く約束をし、電車でたまたま隣に座っていた黒人の女の子は教育NPO所属でアメリカの貧困からくる教育格差是正あたりの問題に関心があるらしく(本人はあまりよくない、これも「じゃあ楽しそうな課外活動あったら一緒にやろうね」ということに。実際、MBA卒後にNPO関係に進む人は珍しくない。仮に本気で興味あるものに出会えたらパートタイムでも参加してみるのもいいなと考え中。

そんな中で結構役に立ったのが、携帯を乾杯する動作でぶつけあうことで名前・電話番号・メルアドが瞬時に登録されるアプ、BUMPとういうやつなんだが、何より嬉しかったのは、IphoneとDroid同士でも普通に成功したあたりか。普通は互換性がないとこなんだけれど。

そんなわけで今夜も飲みます。嗚呼、でも授業前なのにクラスメイトが全員いて「早く友達出来ないかなー♪」みたいな気分がキャンパスを包み込んでいる季節なのだからPartyが連チャンになるのは仕方ない。

話変わって、新居と猫について。私を個人的に知っている人にはうんざりする話だが、私は相当の猫狂いである。しかも、実際に飼ったことがないため多少幻想が入っている一番タチが悪いタイプ。笑。部屋を契約するときに大家さんに「猫飼ってもいいわよ」と言われて小躍りして以来、いろいろ画策してきたのだが、ハウスメイトが「ちょうどいいね。ここネズミが出るし」と言っていて仰天。かなり堂々と猫を導入できるではないか。たいていのネズミは猫の匂いだけで逃げるらしいので一石二鳥である。

今日リースに署名したときにまた大家さんに言ったら「許可どころではなく推奨よ!ていうか、娘の家の猫いる?」とおすすめまで。なんでも、もともと先住猫が2匹いた娘さんは、知り合いが$1,000でブリーダーから買った(!)のに諸事情で飼えなくなって引き取った、純血のペルシャ(推定3歳)がいるんだが先住猫と仲が悪くて困っているらしい。1歳を過ぎた猫を引き取るということは、子供を12歳の子供を養子にもらうのに等しく個体差もあるがあんまり打ち解けられないきらいがあるが、子猫より手がかからない(かも)というメリットがある。それに純血の猫は病気になりやすく短命がちなのでもともとそういうつもりはなかったが(高いし)、降って湧いた渡りに船みたいな御縁が面白いのでとりあえず受け身的に見守ることにする。

そんなところで食料買い出しに行きます。
学業系の決定事項もあるんだけれどそれはぼちぼちで。

大忙し・・・


そんなわけでボストンに到着し新生活にJump inしたわけだが、やることがありすぎてどこから手をつけていいやら、とかなりハイな状態。私はともするとローになるのでこれは悪くない。

とりあえず、今日一番の感動は、部屋を卒業してった先輩が払い下げてくれたベッドがすごい気持よくてテレビがすごい綺麗で、クローゼットにはハンガーがついててバスルームにはマットがついててただのプリンターが実はスキャナーもついてた!というところだろうか。これで手続きが相当簡単になって御の字。

日本旅行記II 北海道(未完のまま敢えて公開)


北海道といえばこういうのだろう。

北海道といえばこういうのだろう。

ボストンへ向かう飛行機の中、暇なので北海道旅行の話でも書いてみる。

私は中高が女子校で大学がアメリカだったので、あんまり日本に友達のベースが築けないことをある程度覚悟していたのだが、OVAL(日中韓の大学生を集めた国際ビジネスコンテスト。2007年参加)や日米学生会議(※参加したわけではなく実行委員会メンツとたまたま意気投合した)を通して思いがけずかなり優秀かつ国際的な同年代の友人が沢山出来てしまい、Interactionはほとんどオンラインでありながら、今に至るまで仲良くさせてもらっている。

そんな繋がりの友人たちがたまにやっているらしい、知床~釧路のロードトリップに、偏食王と一緒に参加させてもらった。実はこれは私にとっても初北海道で、全くといっていいほどイメージがわかず、「ラベンダー畑でくるくるまわったりすりゃいいのか?」くらいの認識で臨み、偏食王にもそう説明しておいた(ごめんよ…)。

そんな感じで羽田に行ったのだが、日本の国内旅行で飛行機使ったのは今まで11歳の時の沖縄が最初かつ最後だったので写真着き身分証も必要なくペットボトル茶が持ち込める羽田国内線にいたく感動し、そのさまを間違いなく私の50倍程旅慣れている友人に呆れられた。

実際にたどり着いたのはラベンダー畑がある富良野(だったよね?)ではなく知床半島に近い女満別・網走エリアで、空港から出たあと売店もレストランも飲み屋もコンビニもないない尽くしの真っ暗な道を、料金が距離と比例する後払い制バスで30分程進みながらホテル近くに降ろされたあたりの唯一空いている店がBig Boyファミレスとすき家だけだったことが今でも偏食王のトラウマになっている。なにせ、まだ夜9時くらいだったのだ。

とりあえず、すき家はあんまりだということでBig Boyに入ったのだが、偏食王は相当渋っていた。アメリカ育ちなら無理もないが、Big BoyもDeney’sもGrossだからだ。Gross、という言葉は日本語にしにくい。キモい、というのが直訳だが、例えば喫茶店で出されたカップに口紅がこびりつき、フォークには油汚れが残っていた、みたいなキモさを指すのであって、年甲斐もなくしょーもないことを言ったりやったりするおっさんを形容する言葉ではない。だが、前述の喫茶店みたいな場所、日本からはすっかり存在を消したのではないか?なので、うまい形容詞も思い当たらない。

ここまで書いたあたりでダイエットコークを盛大にジーンズにこぼしたので一旦中断する。結構な惨事になった…。

近況報告 及び 日本旅行記I(京都、大阪)


明日、ボストン入りする予定。今のうちに備忘録を書いてしまおうという計画である。

この前の続き。中国から日本へ移動したあとも、ちっとも落ち着いてはいられずというお話です。前回はこちら。

別に実家あたりの東京横浜エリアでのんびりしててもよかったんだが、3年ぶりの米国ビザ面接を控えている身としてはそうもいかない。これまで2009年に就業ビザと2005年に留学ビザを経験しているが、こればかりはちっとも慣れないのは面接に辿り着くまでの書類が相当に煩雑なせいだろうか。4月にI-20(入学許可書)を受け取って5月ごろに面接を予約しようとしたにも関わらず、なぜか東京にある大使館は空きがまったくなく、「これでは渡米できないではないか」と脳みそが一瞬フリーズしたあと「そういえば大阪がある」と気付いてあわてて予約。そしてどうせ大阪に行くわけだから、やっぱりここは、

そうだ、京都にも行こう。

となるのが必然であり、ホテル以外のプランもないまま偏食王を新幹線に放り込んで出発。

久々の新幹線はやっぱり快適で、降りた後に食したぎとぎとの京都ラーメンも京野菜(特にトマト)も相変わらず美味で、念願だった金閣寺は写真でみた通り嘘みたいにぴかぴかで、はノープランな割にはなかなか満足な旅だったんだが、京都の2大ハイライトはやっぱし、京都駅にあった中村藤吉本店の抹茶アイスクリーム(とジュレと羊羹)と龍安寺の禅ガーデンである。

抹茶系の味がついたお菓子を食す事自体が相当久々なのを差し引いても、ここの抹茶アイスは秀逸。私は自他共に認める茶葉狂いで、自分で飲む用の中国茶はリテールすっ飛ばして卸問屋から直接キロ単位で買い付けたり、喫茶店でお茶がおいしいと、茶葉売って下さいとまず頼んでみたり、お菓子を頼むときはまずお茶味を探したりするレベルなので、抹茶アイスを評価するときはクリーミィさや甘さではなく「如何にお茶の味が濃いか」である、なのだが、そういう意味では間違いなく今までで一番であった。

偏食王はアイスクリームは食せないのだが、替わりに生まれて初めて食した羊羹(もちろん抹茶味)を「ケーキみたい」と喜び、お抹茶のカフェイン量を知ると「カフェイン高くて美味で健康にいいわけだからカリフォルニアあたりで流行るのに」と感動していた。そうしてしばらくMBAクラスタらしくUSで抹茶を流行らすプランとか考えていたんだが本当に実現したら北米はもっと快適な場所になるのは間違いない。

石庭

龍安寺に至っては、金閣寺のあとになんとなく行ったんだが(繰り返すがノープランなので)、有名な石庭にて、縁側スペースを手に入れたが最後、偏食王が一歩も動かなくなってしまった。なんでも、こんなに平和的、というか心洗われる気分になったことはない!なんて言って約一時間半もぼおっと居座ることに。普段は非常にせっかちな私もまあいいかと一緒にぼおっとしてしまったので、それだけあの禅ガーデンはきっと魅力的なのだろう。

翌朝、ホテルの和室布団で、久々の畳の硬さに背中ばきばき言わせながら目覚めたら、偏食王が余ってた布団で簀巻きになっていた。そうでもしないと眠れなかったらしい。普段ならこの軟弱者めと笑ってやれるものを、自分も背中ばきばきなので何も言えないのが妙に悔しい。アメリカで初めてマットレスを買ったときは(ちなみにとても高い)、実際寝っ転がってみて一番硬いのを選んだつもりなんだが、それでも畳+敷き布団一枚の硬さには遠く及ばないのだ。嗚呼。

そのまま新幹線で大阪へ向かう。面接は次の日なので、OVALで知り合ったものすごくグローバルな経歴を持つアントレな旧友で、大阪ネイティブでもあるK氏が親切にも新世界や心斎橋筋を案内してくれた。K氏がDEEP OSAKAと呼ぶあたりは噂通りいろいろ楽しいものや怖いもの(ものすっごく狂信的なフレーズが踊ってるチャーチとか)や不思議すぎるもの(整然と舗装された道のど真ん中に生きたモルモットが一匹放置されてたり。飼い主らしき人はまわりにいない。捨てられたのか?散歩なのか?放牧なのか?考えてもどうしてもわからないので、野良モルモット事件と呼んでいる)に出会えた。

↓野良モルモット。結構可愛い。

その翌日はビザ面接本番。ここに至るまで、私はビザ面接が30秒で終わりその直後に発行OKを言い渡される簡単なものであることをすっかり忘れ、いろいろ緊張しながら向かっていたんだが、あっさり片付いて肩の力が抜け、最後に前職の大阪オフィスでお世話になった元上司さんたちとも再会でき、関西の旅は無事に終わった。その2日後にまた北海道へ向かうことになるんだが。

長距離ドライブで妄想子育てをぼやく


オハイオにある偏食王の実家に向かう、10時間の旅!
途中通過したシンシナティはかなり大都市だった!
どうなることかと思ったが、道連れのいる旅はそれなりに楽しい。荷物でぎゅうぎゅう詰めの車に乗り込んで、お菓子を買い込んで、エンドレスにノリのいい音楽を聴きながら(クラシックなどは運転者に拒否されてしまったが)、ジャンクなファーストフードを食しながら漫然と将来のことなんかを語らう絶好の機会となってしまった。

相変わらず、将来子供ができたらボーディングスクールが金の無駄かどうかっていう議論から入り、Duke大学がなぜ人種的文化的に多様でありながら、激しく分断されているのか、将来どんな学校になっているだろうかなんて話にも発展。あと、子供が女の子だったら女の子特有の世界というやつが大、大、大の苦手の私は友達同士の悩みなんか相談されても「拳で解決しな」なんてHorribleなアドバイスしか出来なさそうだと本気で一瞬へこんだんだが、よく考えてみたら、

義姉(予定)がいるではないか!Teach for Americaで教えている偏食王の兄嫁(予定)はDuke卒頭脳明晰かつ姉御肌の洒落が効きまくっている相当な素敵女性で、自身も姉妹持ちなので、そんなことがあったらがっつり頼ろうと決めた。

この前婚約の報告をした時も、「これでうちらSISTERSだよねわーい!」と抱き合った記憶が新しく、筋金入りの一人っ子な私は義理とはいえ兄とか姉とかができるんだと無邪気に泣くほど嬉しい。

そんな中で、衝撃的(?)事実が。

偏食王は、子供の頃、オハイオにいながらカナダ並にフランス語とバイリンガル教育を施す(イマージョンかな?)私立小学校に入れられることを検討されていたのだが、なにせその学校が小学校しかないため、最後の最後になって「中学から地元公立に編入だと友達と離れ離れで可哀想だから」とママンが考えなおしたらしい。

それを聞いて、子供の頃引越しを繰り返したけどその点は一度たりとも心配されたことがない私はひたすら「もったいない。行っていたら今頃フランス語ペラペラだったのに」と思ったが、親が子供の交友関係にめちゃめちゃ気を遣うのはこちらでは結構普通のことらしい。前に米人のボスが「中国とかで2年くらい働きたいなあ」とぼやいていたのを、「行けばいいじゃないですか」と言ったらまっ先に「いやでも子供が友達と離れ離れになると泣くしなあ…」と躊躇する第一事由に挙げていたくらいだし。

別に子供なんだから友達なんか行く先々でテキトーに作ればいいではないかと言ったら、やはりミドルクラス家持ちの郊外学区では人の移動がそこまで激しくなく、子供も幼稚園から高校卒業まで全く同じメンバーで持ち上がりなので鋼鉄のような絆の幼馴染グループができ、そこに思春期あたりから潜り込むのは至難なんだそうだ。それでは幼稚園から高校まで、自分の親と同じような家を同じような土地に建てた同じような人々の子供としか接触なくてしょーもないではないかと思ったのだが、少なくとも偏食王の故郷では人種的多様性がなくもない状態だったらしい。

私「へえ、じゃ白人ばかりの友達グループじゃなかったんだ」
偏食王「そりゃ違うさ。インド系と中国系の子とも仲良かったよ」
私「それは多様性っていうのと違う…!!!!つうか何そのIT企業の中身みたいなのw」

なんてツッコミも虚しく、旅の終了後に息を付く暇もなく偏食王の地元にいる小学四年生からの親友グループ(アイリッシュとインド系w)のパーティに繰り出し6時起きの疲労体を引きずってダーツバーで深夜2時まで騒いでいたのはさっきまでの話。

『ハンガー・ゲーム』と引越しに伴う感傷


色々節目である。20代も後半を迎えた。婚約した。そして、退職後から思い切りはじけてアジア地域で遊び呆けていた2ヶ月も過ぎ、今や丸2日かけて3年近く住んでいたアトランタのアパートメントからその年月にふさわしく累積した衣類不要品その他をダンボール大にして12箱(!)に詰め込んでいると必然的にいろいろ感傷的になるのはやはり別れを告げなきゃいけないハウスメイトがScott君という他ではありえないほどの菩薩のような同居人であるからかもしれない。

そんな彼も今年の夏にナタリーポートマン似の長年の恋人(ちなみに偏食王とは違うタイプだが、彼女もまたユダヤ人である!)と婚約し、アジア料理を毎日のように作っていた私と決別しなきゃいけないこの時期はヘタしたら私よりも感傷的になっているのかもしれない。お別れと婚約祝いに、ハンズで買ったチョコレートフォンデュ鍋をあげたらやたらと喜んでくれた。

さて、苦痛に満ちているはずのダンボール衣類づめ作業を飛躍的に楽しくしてくれたのが、Audible.comでダウンロードした『ハンガー・ゲーム』のオーディオブックである。

Audible.com自体はAmazonに勧められてテキトーに契約したら、毎月使用料が取られてるのにろくすっぽオーディオブックを聞かないまま数ヶ月過ぎ(ジムみたいだ…)、これはやばいとアカウント停止を申し入れたらインド人のオペレーターがあっさり快諾してくれたので良心的なサービスかと思われる。

『ハンガー・ゲーム』であるが、そういえば映画上映中だ。『バトル・ロワイアル』やキングの『死のロングウォーク』を思わせる、要するにディストピア・サバイバルもので、ストーリーは手短にいうと、経済的に豊かな支配者層が堂々と搾取しまくっている被支配者層の反乱士気をくじくために毎年厳重に隔離された12個ある被支配者層の各地区(しかも地区ナンバーが若いほど豊かで支配者層よりらしい)から少年少女を徴収して、最後のひとりになるまで殺し合わせるお祭り(その模様はスーパーボウルのように楽しいイベントとして全国中継される)、ハンガー・ゲームに妹をかばって出ることになってしまった、生活水準最下層の12地区出身なだけにサバイバル能力Gクラスの少女がひたすら頑張る話である。

トレイラーはこちら。

ディストピア系のフィクションは『1984』をはじめとしていろいろあるけれど、毎度毎度、政府は「誰得?」な体制を敷いていて読者は腹立ちを覚えるものなんだが、『ハンガー・ゲーム』の中のディストピア支配者層は腹立ちを通り越して、不謹慎ながら非常にコミカルである。スーパーボウル並と例えたが、殺し合いゲームに参加する少年少女は、それぞれに支配者層のファンやスポンサーがついたりする。立ち見の観客たちは、贔屓の参加者を応援し、ゲーム中に手助けし、無念に死亡すれば涙を流す。支配者層の人々はメイクが変なだけで、被支配者層と変わらぬ感情を持つことが強調されている。

つまり、他人の不幸や恋愛やドラマやプライバシーを編集し盛り上げるメディアの存在と、それを鑑賞するのが大好きな、普通の人間たちである支配者層の大衆が、そのままスーパーボウルやリアリティショー好きの米メディアとその消費者である米国民を盛大に皮肉っているのだ。ディストピア云々はただの極論で、作者は政府や体制よりメディアと大衆をいじくって遊びたかったんだろうなと理解。主人公の少女はそんな支配者層の人々を、どこか「ばかじゃないの」という目線で観察しているとこからも納得。

まず映画は相当原作に忠実ないい作りだが、主人公は表情の変化が乏しいキャラなので、行間を埋める意味で本もおすすめだ。

近況報告 及び 中国旅行記 II


近況報告及び中国旅行記Iの続き。前回はこちら。

6月下旬ー7月初旬 北京を離れて一瞬だけ祖父母の住む、山東省のリゾート地へ。

リゾート地と言えば聞こえはいいが、要するに新興中規模都市で、そのためか?中国では珍しく綺麗な海水浴場を誇る。確かに水はとても綺麗で、胸まで入っても足元に魚が泳いでいるのが見えるレベル。だが、海水浴場以外は特に楽しいスポットもなく、6月中は寒くて泳げやしないので、偏食王が退屈するといけないと、2泊3日の短い旅にした。メインイベントは、私の数少ないけれど、とても仲の良い親族―母方の祖父母と叔父夫婦と従弟―に婚約者を会わせることだ。

だが、思いがけず偏食王はこの田舎リゾートを気に入ってしまった。北京の大気汚染っぷりに喘息の発作を起こしかけていた彼は、飛行機から降り立った瞬間より、透き通るような青空の下、かすかに植物が香る空気を胸いっぱい吸い込んで、「生き返った」と呟いた。

祖父母とや叔父家族とは至極和やかに羊鍋などを囲み、言葉が通じないながらも彼のキャラの可愛さは理解してもらえたのでよしとする。黙ってても老人と子供にモテるタイプはモテるんだなと再認識。

次の日は、ちょっとわがままを言ってStudio Pictureを一緒に撮ってもらう。中国のカップルは結婚式や披露宴はまだ割りと一般的ではなく、そのかわりプロメイクをしてプロ撮影するのがスタンダード。クオリティに比してだいぶお得なので(人件費のせいで)いろいろとおすすめ。諭吉3枚で衣装4つくらい。

7月初旬 上海及び香港へ。そして東京。

偏食王が、小籠包にはまった。かなーり、身も世もなくはまった。おかげで、豫園の一番の老舗と言われる南翔小籠包店に2回も通うことに。北京ダックは一番老舗の全聚徳では2時間待ちの上に、オーバープライスだと言われているが(ちなみにこっちは便宜坊というところで食べた。普通に美味だった)、南翔は面白いprice discriminationがされていておかげですぐ座れたのでリピーターに。どういうシステムかというと、1番人気の蟹味噌小籠だけを出す2階、他に4種類違う味を出すけれど値段が15%上乗せなのが3階、さらに20種類くらい違う小籠包を楽しめるが、値段も跳ね上がるのが4階…と続く。もちろん混み具合も値段に反比例する。偏食王は、蟹味噌が嫌いなので、豚肉小籠包が出る3階に座ったのだが、「ユダヤ人だから豚肉には抵抗がある」ってどの口で言ったんだか。

その後、マンハッタンぽい上海の南京路を練り歩いたり、アジア料理を食い過ぎて精神的にうんざり気味の偏食王のピザハットに付き合ったり、香港では無駄に綺麗なホテルで夜景みたり旧友と再会したり、など盛りだくさんの旅であった。

が、香港では英語と標準中国語を解するのに広東語が通じないのが思ったよりuncomfortableで不思議。未だに広東語では、「九陰真経」「東方不敗」の二言しかちゃんと発音できない。ちなみに、この二言を理解するブログ読者の方とは是非お友達になりたいw

そんなこんなで、東京へ帰着。散々Twitterで日本の教育やら就職事情をDisってきたが、にこにこ優しいサービス業のおねーさんたちといろいろ清潔な街と無糖のペットボトル茶に癒されまくって、なんかものすごい申し訳なくなり、「Disってごめんよーーー!」と叫びたくなったのはまた後日の話。

近況報告 及び 中国旅行記 I


筆不精症候群から抜け出す第一歩として、書き溜めていた文章をとりあえず載せていくことにする。
ただし、それだけでは芸がないので、近況報告もついでに。

5月末日 3年近く勤務した某Big4コンサルを退職。

6月初旬 約3年ぶりに日本へ。

3年のブランクはやはり凄まじく、飛行機の中で、明らかにバイリンガルのCAさんから日本語で話しかけられても日本語で答えが返せない、コンビニのレジでどうしても最後に「ありがとう」と言ってしまう、などの後遺症に悩まされる。

その3日後、2年ぶりの中国へ。80過ぎの祖父母が入居したRetirement Homeを訪問。祖父母は割りと健康なので、老人ホームというには微妙なのだが、とりあえず毎日の料理がしんどい感じになってきた上に、もったいない病で食べ物が捨てられないので冷蔵庫が定期的にカオスになる状態が続いた結果の判断。訪問してみて、そのクオリティの高さに家族一同驚く。
何しろ、ほとんど四つ星ホテル待遇に近い。まず、部屋が非常にホテルっぽい。日当たりがよく、完全フローリングの室内は、毎日掃除のおばさんがシーツを替え、モップでぴかぴかにしていく。食事も3食、カフェテリアでバランスの取れたそこそこ美味しい減塩メニュー。その他、カラオケ室、囲碁室、Spaサウナなど、レク施設や医療施設も完備で、ロケーションが空気の良い郊外(うちは新興都市なので空気の良い地帯も結構あるのだ)なので、結構いろいろ安心だ。家族内でも、老人ホームにあたる「老人院」とは呼ばず、「療養所」と呼ぶことにした。

曰く、新興の中規模都市の郊外だからこそ実現したクオリティと値段(リーズナブルらしい)だという。祖母が施設入りしたと聞いて、説教でもしにくるつもりであわてて飛んできた親戚も、中を見てからは、「うちらも10年後にはここがいいな…」とぼやいていたのが印象的だった。

6月下旬 北京で偏食王と合流。

今度は、彼の初アジアの旅にあたる。どうしても、北京の万里の長城が見たいとゴネるので、13歳の時に熱中症すれすれで不規則な石段をえっちらおっちら登ったり降りたりしたトラウマを引きずりながら、やっとこさ登ったら、展望台ぽいところで、なんとプロポーズされてしまった。それ自体は嬉しいのだが、記念日のたびに長城を訪れるとか嫌だからな、と念を押しておいた。彼はスタンフォード、私はMITのMBAに行く事が決まっているので、あと2年は遠距離になってしまうが、だからこそこのタイミングで婚約するのはナイスなのかもしれない。

偏食王は紫禁城も非常に気に入ったらしい。午門の脇を入ったところは、いつ見ても壮観なんだが、君主制が一度も取られたことのない米国で生まれ育った彼としては、「こういう建物、どこにもないよなあUSでは…」というあたりが感慨深いらしい。あと、乾隆四十一年(1776年)に建てられた殿堂を見て、「これ、独立宣言の年やん…」とひとりごちていたのが可笑しかった。

北京巡りは、ツアーバスに乗ったんだが、ガイドのねーさんが揃いも揃って「美人なのにキレ芸」だったのが非常に印象的。まあ、北京という土地柄的に、サービス業関係者といえど、デフォスタンスがI AM THE BOSS!!!なのは再度実感したところだが、彼女らは偉そうというのを通り越して、かなり小気味良く毒舌で飽きさせないので、芸というだけあるかもしれない。どんな感じかというと、例えば、口癖はこんな感じ。

「あのさあ、江南の山水と違って北京観光は、由来と歴史を知らなきゃただのボロ壁ボロ瓦にしか見えないんだから、あたしの話はちゃんと聞いてよね?(青筋)」

あと、北京という土地の迷信度の高さにもびっくり。古い建物の敷居は踏まずに男左足、女右足で跨げ、とか法律関係者以外は麒麟を飾ってはいけない(少しの不正も見逃さずに祟るから、らしい)、とかなら序の口で、特にすごかったのが中国建設銀行の建物。なんでも、金融街の中でも、清朝ではかつて処刑場だった場所の真ん前の土地を運悪く割り当てられた建設銀行は、その邪気をなんとかするために、幾重もの風水防衛を施したらしい。

それで建てられたのが、。見ての通り、玄関口は建物の正面ではなく、角についているし、建物はガラス張りでなく真っ黒だし、門の前には邪気を避け、財を護るという神獣が対で並んでいる。他にも細かいのがいろいろあるらしいが、何よりこの真新しい金融ビルの風水防衛に関する本気っぷりが伝わってきて、とてもすごい。防衛のおかげか、業績はずっといいらしい。

思いつくままに書いてたら、いつのまにこんなに長くなってしまった!ので、IIに続く。