副題に、「私がユダヤ人を選んだ理由」とつけてもいいかもしれない。歴史的背景について語る、小難しい恋バナです。
ステレオタイプかもしれないが、ユダヤ男とアジア女のカップルは多い。実際、大学でもオフィスでもその組み合わせは多かったし、私もDUKE時代、付き合うに至らなかったがアプローチをかけてきた白人の男は全員ユダヤ人だった。
で、なんでそんな彼らに中国系(日本系もちらほら)嫁や彼女が付くのかというと、答えは簡単だ。価値観が一致しまくるのだ。私は今まで、中国人、日本人、と付き合ってきたが、なぜかユダヤ系アメリカ人の偏食王と価値観が最も合うことに気づいた。
具体的に、いくつか要因があるが、主に以下の3つかと思う。
- アジア人の宗教的寛容性
- 家族に関する東アジア(特に華僑?)の価値観とユダヤ的価値観の親和性
- 教育的価値観の一致
まず、アジア人の宗教的寛容性について。前述したように、ユダヤ人家庭の宗教観、民族観は非常にかっちりしていて、生活習慣の隅々にそれが表れる。マジョリティである、クリスチャンの人たちと結ばれた場合、結構面倒らしい。例えば、子供が生まれた場合、ヘブライ教室に行かせるか日曜学校に行かせるか、サンタを信じさせるかハヌカのプレゼントを開けさせるか…の全てで揉める。アジア人でクリスチャンというのも最近は多いけれど、私も含め両親ともにコミュニスト育ちの大陸人や、大多数の日本人(実家は浄土真宗だけどクリスマスにはケーキを買ってチキンを食う人たち)にとって、それらの揉め事は皆無だ。もっとも、私はクリスマスのあの商業的な雰囲気が好きなので「冬至祭りだと思ってツリー飾っていい?」といつもゴネている。
ちなみに偏食王の恋愛遍歴は結構中国寄りで、「あんたはアジア専か」と問われて「そんな事はないが、クリスチャン女性とは価値観が合わず、ユダヤ人女性とは性格が合わない」とぼやいていた。ユダヤ人女性の性格が問題なのでなく、そもそも出会った頭数がそんなに多くない中で、性格合わないタイプしかいなかったのだと言う。ユダヤ人というのは少数派な上に、アジア人と違って見た目で顕著に判別できるわけでもなく(敢えて言えば東欧っぽい。ザッカーバーグ氏みたいなのがそれっぽいとは言われるが。そういえばザッカーバーグ氏の恋人もチャイニーズだw)、したがって大学なんかではユダヤ人ってだけであんまり群れたりしない。卒業後、共通の知り合いを指して、「そういえばあの子もユダヤ人よ。」「へえ知らなかった!」という会話はザラである。
交際開始時も、そういえば「あなた、最終的に同じ宗教じゃなきゃだめってことないわよね?」と釘を差したが、「別に構わない。ただ、子供はユダヤ式に育てたい」と返ってきた。この申し出に「いいんじゃない?」と答えられる人の中にアジア女性が多いのは自明だ。
次に、家族に関する東アジアの価値観とユダヤ的価値観の親和性。上述した会話に違和感を覚えた人、鋭いです。我々カップルが出会ったのはたかだか22、23歳の時。そこで交際開始しようかなんてロマンちっく?なときに、「最終的には…」とか「子供は…」とかいう非常に生き急いでる上に所帯じみた前提条件が取り交わされ、そこに二人とも疑問を覚えなかった。ここらに、東アジア的家族観とユダヤ的なそれの親和性が端的に表れている。キャリアやら何やらに心血注ぎつつ、家族を持ち子供によって己を存続させることを本能的に大事にする傾向とでも言えばいいのだろうか。まぁ人によって違いはあるが、ここでは我々は「キャリアは出来るだけ頑張るつもりだけど方向性はまだ未知数。だが30いくつまでに郊外に家買って子供2人くらい居る生活が欲しいことは決定している」とこで一致してしまった。
ここらは特に中国系移民と心情的にシンクロするものがある。ユダヤ民族(ここは敢えて民族とするが)は、紀元前に経験した亡国及びディアスポラにより世界に散り、民族的文化的宗教的慣習によりアンデンティティを確立してきた人々である。だから、血族はとても大事。己の家族も、己の子孫も、存続させていくことがとても大事。どんな環境でも。異民族に囲まれても、自分だけにしか出せない価値を叩き出してしぶとく生き残るべし!がスローガン。特に偏食王の家族は3世代前に米国に移住してきたのだが、移住することを選ばなかった一族の人々は、尽くホロコーストの犠牲になってしまった悲劇があるので、切実だ。
そんな姿勢が、近代に入ってから不安定続きだった中国に生まれ、2、3世代前から激動の人生ドラマに事欠かず、大陸を見限って外に出ていった中国系移民と見事にかぶるのだ。華僑というのは世界中に散っていて、ユダヤ人とはまた違うコンテクストだけれども、いわゆる「祖国」とは離れた場所で、血縁と文化とガッツでアンデンティティを保ちつつ、そこそこ成功している集団であるから。
さらにその繫がりで、教育的価値観が一致してくる。ところで、米国の大学入試はペーパーテストの点ではなく、日本のAO入試のように、成績、課外活動、文章力など、高校生活の「総合点」をみる傾向が年々強まっているが、それは影では、「点数で取らないのは、ハーバードなど有名大学の席を、ユダヤ人や中国人に総取りされないためじゃないの」と囁かれるくらい、ユダヤ系とアジア系の子供は歴史的に優秀である。ちょっと前に極端な教育論で物議をかもした『タイガーマザー』の娘二人も、そういやユダヤ系と中国系のハーフだし…(あれはアメリカ人の常識からいくらなんでも外れすぎだから旦那止めてやれよって思ったが)。
前述の歴史的背景から、「祖国を持たない(或いは信用出来ない)者として、物理的財産はいつ戦乱で消えるか没収されるか未知数だが、生きてさえいれば教育的成果は誰も奪えない」と地で考えるユダヤ人と、同じように考えつつ、かつ科挙文化の継承者たる華僑は、とりあえずめちゃめちゃ教育熱心だる場合が多い。詰め込み重視かそうでないかでちょっと揉める可能性はあるが(笑)。
他にも、商売が上手い民族とお互い言われている通りコスト感覚の一致(笑)とか、挙げればキリがないけれど、とりあえずここらで、米国でやたら存在感を放つユダヤ人という特殊な人々に対する考察を終えようと思う。
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