独断と偏見に満ちた米国事情~宗教編III(アメリカのユダヤ人)

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独断と偏見に満ちた米国事情~宗教編III(アメリカのユダヤ人)all over the place


前回に引き続き、ユダヤ人の話。

偏食王はじめ、米国のそこかしこにいるユダヤ人ってどんな生き方してきたの?という視点で、彼らの生活について語ります。真面目そうに書いているけれど、実質上恋バナなので気にしないでください。

偏食王は、米国のイチ改革派ユダヤ人中流家庭(郊外に庭付き一戸建てみたいなステレオタイプそのまんまの)に生まれ、子供の頃はキリスト教の日曜学校ではなく、毎週土曜日のヘブライ教室に通って最低限のヘブライ語と祈祷や儀式の際の文句、及びヘブライ聖典(旧約聖書と内容がかぶるやつ)について教わる。しかし、子供の習い事なので、彼はこの内容は結構忘れており、旧約聖書を読み込んでいた私のほうが内容に詳しいくらいだった。

そこで聖典の特に物語性が強い内容のところでは私と争わないことに決めたらしい。そして、もちろん艶っぽい話や、聖典ではよくあることなんだが不条理に悲しい結末になった話などは、子供用の授業からは省かれていた。←ということを、本人は後に私との話で気づいて、爆笑していた。

彼も、他のユダヤ人の家の子と同じく、クリスマスは祝わない。もちろんメディアで散々喧伝されているサンタも信じない。そんな彼らに最近は公立の学校なんかも気を使って、冬休みをクリスマスホリデーとは言わず、ただホリデーシーズンと呼ぶ。政教分離だ。これで文句を言って来るアメリカンクリスチャンが結構いるからうざいんだけど。

けど、マジョリティであるクリスチャン家庭の子がプレゼントプレゼント騒ぐのに何も出ないのは哀れ、と、クリスマスシーズンに行われる、もとはユダヤ教のあんまし大きくないお祭りである、ハヌカがもてはやされ、そこでプレゼント交換ぽい習慣は普通に身についているみたいだ。ただし、クリスマス当日は、人々がサンタだ!セールだ!と騒いでいるのを尻目に、これみよがしに中華の出前を取る。空いている店がそこしかないからだそうだが、この「クリスマスに中華」って習慣自体が彼らにとってはお祭りに等しい。しかし、同じくキリスト教のお祭りであるはずの、バレンタインデーについては、何故か迷わずに祝っているんだけどこれについてはそっとしておくことにする。

ユダヤ人の子女は、13歳になるとBar Mitzvah (バー・ミツワー)という成人式を大々的に行う。一族郎党を呼んで、レストラン貸しきって、場合によってはエンターティナーも呼んでとりあえずお祝いをする。もちろん成人どころじゃないので家族の中で一人前として扱われるくらいの意味合いだが、どっかのテレビドラマでみたその光景は、ホテル貸切、ゲストはプロのレスラー招致…というなかなか大規模なものだった。偏食王はさすがにそこまでせず、レストランくらいだったらしいんだが、これは宗教に関心の深さにかかわらず、ユダヤ人の家の子なら皆通過するものらしい。

そして、「成人」してからは、過越祭(3月末~4月初)の一週間、炭水化物は発酵してないモッツァという味気ないクラッカーしか食べられないという妙な祭に参加することになる。モーゼの出エジプト記由来の祭りなのでもちろんめちゃめちゃ古い。これを、「自分はユダヤ人だ」という認識を持っているくらいの人なら、余程のことがない限り、決してサボらない。ユダヤ人の友達は大学から沢山いたが(偏食王も一応大学の同期だが)、「神ねぇ…いるんじゃないの、どっかに」レベルの人も、こういうのは欠かさない。幼い頃から民族的アイデンティティとともに習慣付けられているからだろう。

それら習慣がいちいち、マジョリティの白人とは一線を画すため、彼らはマイノリティという自覚を胸に生きるのだ。多かれ少なかれ。

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