今回の宗教編IIでは、アメリカの有名大学で必ず圧倒的な存在感を持つ、ユダヤ人について語ってみたい。
まず最初にカムアウトしておくが、私はユダヤ人に対してかなりのバイアスを持つ立場である。理由は単純明快。付き合ってもうすぐ3年になる恋人がユダヤ人だからだ。そして、私はキリスト教の学校には6年通ったが、ユダヤ教およびユダヤ人についての知識は、ユダヤ教の聖典と内容がかぶる旧約聖書と、聖書の時間で避けては通れない話題として学習したことと、この恋人や家族を通して見聞したことに限られる。ああ、恋人という言い方は25にもなっていい加減照れくさいので、以下はブログ用のあだ名、「偏食王」と表記することにする。文字通り偏食が激しいからです、はい。
つまり、『ダーリンは外国人』の内容がすべての白人のお兄さんの生態を代表しないのと同様、その実『ダーリンはユダヤ人』とでも改題されるべきこの項目も、アメリカのユダヤ人の生態をちゃんとは表さない。
さてはて、ユダヤ人ってどういう人たちのことでしょう。フェリスの聖書の時間では、カリスマ性に満ちあふれた牧師先生に、こう習いました。
「皆さん、ユダヤ人って何でしょう?
そもそもみんな、日本人って定義できますか?
(誰かが「日本国籍保持者」とすかさず言う)
え、本当にそうかな?ラモスとか日本国籍持ってるけど迷わず「あの人日本人」って言える? 海外に移住してそこで国籍を取得した人たちは、もう日本人じゃなくなるの? 二重国籍、持ってる人もいると思うけどそのへんはどう思う?
(ここらでクラスが考えこむ)
まぁ、難しいよね。日本人を定義するのは難しい。けどね、ユダヤ人は簡単です。 「ユダヤ教徒なら、ユダヤ人」だからです。
つまり、ある日突然「日本人やめた!ユダヤ人になる!」って思ったらなれるわけです。 (実際はそんなに甘くないけど・・・)」
平たく言えばそんなところなんだが、これも奥が深い。なんじゃそら?と思う人や、本質的にユダヤ人とはなんぞや?と思う人は、私の独断と偏見に満ちた投稿なんかより、こことかこことかを読んだほうがいいだろう。後者では、ユダヤ教に改宗した日本人のかっこいいエリート弁護士さんがわかりやすく説明してくれています。この人はウルトラオーソドックス(超正統派?)といって、戒律その他が超厳しい宗派に改宗してるので、私の恋人含め、アメリカのそこらにいるユダヤ人とは結構違うことも一応言っておきますけど。その弁護士の石角莞爾先生のユダヤ人本はこちらです。
と、逃げ道は作ったところで好き放題書きまっせ。
私の独断と偏見に満ちた超簡略化したユダヤ教とは、1. ひとりの姿形ない神を神と崇めつつ盲信はせず(偶像崇拝が最大のタブー)、2. 盲信する代わりに安息日を守り、3. 食事戒律を守り(豚肉を食べない以外にも面倒なのがたくさん)、4. 死後の世界はなく原罪もなく性善説で、5. 男子は割礼し、6. お正月は太陽暦でいう9月末で、7. 過越祭の一週間はモッツァというクラッカーめいたものしか食べられない。
近代医学が常識になってからは、定期的に休める安息日、当時は結構不潔だったらしい豚肉の排除、清潔さと性感染症をある程度予防する男子の割礼などは画期的かつ合理的な習慣であると言われている。宗教としてやたら古いのと、わかりやすい神様がいないのと(偶像がないので)、戒律が多く改宗者が少ないのとで、宗教と民族の区別がつきにくかったり、儀式戒律その他が宗教上のものというより、文化的習慣のようにみなされるようになったりしており、偏食王も一応神は信じているらしいが、宗教的アイデンティティと民族的なそれが結構ごっちゃになっている。
また、キリスト教にカトリックや英国国教会やピューリタンがあるように、ユダヤ教もいろいろ派閥があって、大きく1. 正統派(Orthodox) 2. 保守派 (Conservative) 3. 改革派 (Reformed)に分かれる。Kosherと呼ばれる食事戒律や安息日は本質的には大事なんだけど、偏食王が所属している改革派はKosherや安息日を現代文化でやるの無理!との考えで、彼も一応私と一緒に豚肉を食べられる(嫌いだけど、それはただの偏食)。アメリカでは改革派が多いんじゃないかと思う。だから、ユダヤ人の男とアジア系女のカップルというのがやたら多い(豚肉食べられない人とは付き合えませんw)。正統派や保守派の人たちなら原則ユダヤ人以外の配偶者は認められないんだろうが、改革派に至っては割りとそーでもないらしい。
ちなみに前述のかっこいい弁護士のおじさんは、超正統派(Ultra Orthodox)に改宗しているので豚肉どころか日本では肉そのものが食べられないくらい、いろいろ厳しい。
やっぱしクリスチャン学校育ちなので、キリスト教と関連付けて書くと、ユダヤ教はキリスト教のご先祖さんです。聖書には旧約、新約と2部構成になっているのは広く知られていると思うが、ユダヤ教の聖典は旧約とほぼかぶります。なんで「ほぼ」なのかっていうと、ユダヤ教バージョンをちゃんと読んでないので断定するのが怖いだけです。チキンですはい。
ご先祖さん、とは語弊あるかもしれないけれど、キリスト教は確実にユダヤ教から派生し、キリストさんが亡くなって神格化された後も、しばらくは「ユダヤ教キリスト派」として認識されていた。
それを、キリストさんの没後弟子(笑)であるパウロさんが、それまで割りとExclusiveだったユダヤ人コミュニティの概念から飛び出して、「キリストさんを信じる者は別にユダヤ人でなくても救われます。だから割礼とかしなくてもいいので皆さんどうぞ」キャンペーンを展開し、敷居を低くしたせいでおかげで(だって大人になってからのあれは大変でしょ…汗)、キリスト教は爆発的に広まって、ローマの国教を経て世界的宗教となり、ユダヤ教はそれに対して大きくはならず、けれど未だ大きな存在感を示しているのが現状である。
さらに脱線すると、キリスト教はユダヤ教が本家(笑)なわけだから当初は偶像崇拝禁止であり、我々が親しんでいる西洋美術とか母校の美しいステンドグラス、彫刻、教会に掲げられているデカイ十字架の類もローマの国教だった時代とかは完全にアウトだった。しかし、北方から大挙して押し寄せ、ローマ滅ぼして天下を取ってしまった、当時は精霊信仰をしていたゲルマン人たちをキリスト教に改宗させるのに苦心して、わかりやすく説明するために「神様を絵に描いて拝ませる」スタイルになっちゃったとか。この精霊信仰とキリスト教との融合の結果のひとつとして、12月25日のクリスマス(冬至祭り)があるらしい。イエス・キリストさんの誕生日は真冬どころか春なので。(ここらへんテキトーなのでツッコミ歓迎です)
次の宗教編IIIでは、話を個人目線に戻します。大学に行けば高確率で出会うであろう、アメリカのユダヤ人ってどんな人達なんでしょう?
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