私に公立小学校への怨嗟を吐かせたら止まらない~Twitterまとめ編。

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私に公立小学校への怨嗟を吐かせたら止まらない~Twitterまとめ編。all over the place


昨夜、連続リツイートしてみたら結構反響があったので、読みやすくブログにのっけてしまおう。Twitterまとめ編、ということは・・・はい、もちろんこれだけじゃ終わりません。こんなのただの導入です。笑。

大学に行かない選択というのが巷で話題らしいが、おのが教育歴を振り返ってみて、無駄だった学校のダントツ1位は小学校だ。授業は朝から帰りたいほどつまらなく、行進だの朝礼だの子供らしさだのが嫌で仕方なかった。 今に至るまで私の母校は日能研だと思っている。

あらゆる学校の中で、最も不当に学生を拘束し、知的好奇心を満たさず、役に立つ人脈も作れない学校は小学校であるのに なぜその対極にある大学を批判するのか。本当に才能があって、生き急いでいる者は、小学校を私立かホームスクールでやり過ごし、中高すっ飛ばして大学に行けば一番効率いいと思う。

私に日本の公立小学校への怨嗟を吐かせたら止まらない。まず、小学校の授業や活動は、一度たりとも集中したり夢中になった記憶がない。授業という授業はすべて暇で、国語の時間は扱っている項目より先の物語を読んで時間をつぶし習ってない漢字がどうの、という妄言を聞き流し(個人的にひらがな混じりの文章は怪文書と紙一重だと思う)、算数では掛ける数、掛けられる数のさらなる妄言を無視して減点され、 理科では用意された浅い結論に辿り着けというプレッシャーに疲れた。

そして、何より全然無邪気でも純真でもない、子供らしい偏見と悪意の塊みたいな同輩の同調圧力に神経をすり減らし、朝礼や行進や、整列やその他あらゆる集団行動で、意に反する身体的行動を強いられ、それらに自然に反応するようになったおのれを自嘲した。
そんな鬱屈した子供時代の転換期は、日能研の体験授業だった。授業というものが45分間どころか、60分でも90分でも集中する価値があるものだと4年生のその時にはじめて知った。巷では賛否両論あるらしい、能力別に編成されたクラスの中で、はじめて、他の言語を解することが、本を沢山読んでいることが、人の知らない漢字を書けることが、そして、勉強を楽しめるということが「かっこいい」と言い切れる刺激的な同輩と出会った。

学校は、瞬時に「昼間ぼーっとしに行き、あわよくばこっそり本を読みに行くところ」と化した。ズル休みしたのも1度や2度ではない。受験のストレス熱だと親に言って、学校に連絡をいれてもらい、その後こっそり地域の図書館に忍び込み、心ある大人(?)たちから「今日学校休みなの?」なんて突っ込まれながらも無視して『ハッピーバースデー命輝くとき』を読んでた名残りの真っ赤な目を向けて撃退していたのはいい思い出である。卒業したどっかの区立小学校の名前は忘れかけているが、私の母校は間違いなくそこから救ってくれた日能研某校だ。合併でなくなってしまったが。合掌。

現在、『小学校は楽しかった』と言い切れる人の脳裏に浮かぶノスタルジックな光景は決して、つまらない授業中や、何度も付き合わされた運動会や卒業式の練習や朝礼の行進ではなく、放課後や休み時間に気の合う友達と走りまわったり、駄菓子屋行ったり、カード交換したりして遊んだ思い出とかではないか?

敢えて問う。

近所の子供とそういう楽しい思い出を作るのに小学校という箱は本当に必要なのか、ということを。そしてあなたの思い出は9割の退屈や無意味を都合よく忘れ、1割の珠玉を抜き出した甘美さから構成されているんじゃないか、と。

それを踏まえて、生き急いでいる人に聞きたい。

小学校が一番無駄だったんと違う?

ハッピーバースデー 命かがやく瞬間(とき) (フォア文庫)

4 Comments to "私に公立小学校への怨嗟を吐かせたら止まらない~Twitterまとめ編。"

  1. badjoe's Gravatar badjoe
    02/13/2012 - 8:46 PM | Permalink

    むはは!
    アッパミドルの家庭に生まれたギフテッドキッズの悲哀ですか。
    ただ、日本の公立小中学校の最大目的は「日本人」の養成ですから、小学校で日本の集団主義教育に不適応だった人は、成人してからも「日本の」会社や役所等の組織に適応するのは難しいでしょう。その点、一晴さんは実にうまく我が道を進んでいると思います。
    でも、大多数の凡人ピープルには最適だってことはわかってらっしゃるでしょ?

  2. 02/20/2012 - 2:29 PM | Permalink

    多いに共感します。僕が自由だった幼稚園から小学校に上がったとき、親に「皆同じ事をしなきゃならない」と不満を漏らしたそうです。残念ながら僕は小学校に適応してしまい、優等生として振る舞うようになりました。一方でいじめもしました。都合のいい解釈ですが、小学校という環境が精神を歪めていたのではないか、などと考えたりもします。

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