『十二国記』との決着–『月の影 影の海』

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『十二国記』との決着–『月の影 影の海』all over the place


女子校時代、この『十二国記』という中華系の匂いのするファンタジーが周りで割りと人気だった。私は当時、中国語のクラシックなちゃんばら小説である金庸とか古龍とかを中国語維持のために読みまくっていたし、『封神演義』も子供の頃から親しんでいる話としてずっと好きだったので、自然とそこらで話が合う友達は、『十二国記』を通過したことがある、のが一般的だった。

しかし、私は読む前から胡散臭いと思って遠ざけていた。

日本人作家による中華系ファンタジーは田中芳樹のやつだけでお腹いっぱいだったし、少なくともあれは登場人物は実際の神話あたりから来ているのに対し、これの主人公が「中嶋陽子」とはこれ如何に?そして、国が十二個もある時代なんか伝承でも歴史でも聞いたことがない。

西王母が出てくるらしいのは伝わったが、あれは神話系の話の中では、やたら頭固くて秩序ばっかり重んじる小煩くて性格悪い姑みたいなおばちゃんと相場が決まっているので(例:実際、『白蛇伝』でも『西遊記』でも『東遊記』でも、差別的で色恋沙汰に理解がなくて嫌なおばちゃんだった)、この話でも『中嶋陽子』という、全く強くなさそうな名前の日本人のイビられ嫁が苦労する話なのかと早とちりした。

けれど、仲のいい友達は言い切った。

「そんなん違う違う。とりあえず、読んでみな!一晴ちゃんは絶対好きだと思う!」

そこまで言われては、と、学校帰りに横浜の有隣堂で、『月の影 影の海』を手に取った。16歳くらいの時だったか。その後、どうなったかは、割りとはっきり覚えている。

まず、3ページ目にして、

くそおやじ が あらわれた!

私は、自分の父親が教育熱心なのに慣らされたせいか、この手のくそおやじが大嫌いだ。実物は幸いにして見たことはないが、フィクションの世界でたまに見聞きするたびに、血が逆流しそうなほどの嫌悪感をおぼえる。女という理由で「学力に見合った学校に行かせない」「ズボンを履かせない」「失踪したのに髪色がどうの、男がどうのと勘ぐる」……これは厳しいとかそういう問題じゃない、子供の人生を握っていながら、子供の幸せすら願っていない、無知無能な家長気取りの矮小な男だ。フェミなどの問題ではなく、子供が男であったとしても、別の意味で不幸になりそうだ。

山岸凉子の『天人唐草』の父親もたしかこんなんだったか。あの親父もしょうもなかったが、描写はLess露骨だったのでそこまでの嫌悪は覚えなかったものの、異世界にも行けなかった娘の末路は考えつく限りの不幸の寄せ集めだし。ねぇ。

『魔性の子』の泰麒の親といい、作者はしょうもなく無知無能・思考停止・頑迷かつ怯懦な人間を主人公たちの親に据えることを試練の一種とでも考えているらしいが、私のような読者の脳血管をふっ飛ばして何が面白いんだろう、と問い詰めたくなる。まあ、あれは饕餮に美味しく食されてくれたので多少胸がすいたが、陽子父もデザートにどうだ?(笑)

しかし、そこは横浜の有隣堂内なので、売り物を放るわけにもいかない。だが、気に入ったら買う予定だった本には違いないが、こんなくそおやじが生息している書物にはびた一文払いたくない。かといって、続きは気になる……ジレンマを引きずりながら、とりあえず読み進めることに。

翌日、なんだかとてもげんなりして、薦めてくれた友達に

「あのくそおやじがいつか死ぬ話が続きにあったら読むことにするよ……」

と言い捨てて、『十二国記』シリーズは綺麗に頭から抹消しようとしたが、嫌なことを忘れる才能に恵まれていないので、やたら悪い後味は残り続けた。もやもやと。

それから約10年後の先日、暇に任せたのか、ふと思いついて『十二国記』のWikipedia記事を読んでみた。複雑に入り組んだ登場人物の関係もその背景世界も、実にわかり易くWikipediaは解説してくれたが、私がこのシリーズに対して抱く感情は、やっぱり、

It’s Interesting. But I hate it with burning passion.

何かを強烈に好きなのと同じように、強烈に、それも一筆書きたいほど嫌うというのも、人生においては貴重な経験に違いない。だが、飛ばし読みとWikipediaだけでは少し論拠に欠けるとの謗りを免れないだろう。特に根強いファンも多い話だし。

ということで、紀伊國屋書店からこのシリーズを大人買いしてしまった。
これを読んで、私は『十二国記』に対し、十年越しの決着を付けようと思う。つまり、この世界や物語に対する嫌悪感の正体を言語化することによって、もやもやを払拭するということだ。

Wikipedia知識で考えてみたい項目は、主に以下のこと:
1. 主人公も主要人物も、性格設定に無理がありすぎて、魅力を感じるのが難しい。特定の登場人物がアスペぽいのは物語でも強調されているが、人物の大半がコミュ障である疑惑を検証してみたい。

2. 青少年向けの読み物らしく、成長譚が主なテーマだが、成長カーブに無理がある。怯懦で引っ込み思案の主人公が、数日間アドレナリン分泌が多い環境下に置かれたからといって、とても話の最終形態のぶっきらぼう且つ男ぽいキャラになるとは思えない。

3. 世界観が、共感を許さぬ不気味な箱庭のようだ。ファンタジーにも関わらず、なんなのこのDystopiaっぷり。ハイ・ファンタジーは世界の自由度が高い故に、非常に不愉快な方向に歪んだ作者の微妙な箱庭療法の現場を見せられたような気分になることがある。その後を引くもやもや感が何年もぬぐいきれず、こうして愚痴ってるわけなんだが。

4. 生殖行為が生殖に繋がらないのに男女の別がある世界のシステムは、もうちょっと違う感じになると思うんだが、これいかに。同じ不条理なファンタジーでも『氷と炎』シリーズは大好きだが、それは様々な制約あれど人間が一応ちゃんと三大欲求で動いているためであろう。

5. 『覿面の罪』及び他国との戦争の制限はそれ、チートというかご都合主義というか…。国防の心配もなく、領土拡大も無理な世界でのリーダーシップってそりゃ内面的になるわなぁ。はあ(ため息)。

6. 登場人物が苦労して成長して何かを掴む話は本来カタルシスを伴い娯楽性が高いものであるはずであるのに、この取って付けたような説教臭さはなんなの?もともと暗くてネガティブな人間(たぶん作者の分身)が、別の種類の暗くてネガティブな人間に「お前ネガティブすぎるんだよ!そんなんじゃ生きていけねーよ!」って説教しているみたいな。説教元もどうせネガティブじゃん。ドヤ顔すんなよ。

7. 人物の名前が多すぎる。どんだけ混乱したと思ってんだ。二つ名なんかは楽しいのはわかるが、姓、名、字までにするべきであった。氏まで入れるのはやりすぎ。下手な話、「オレは張三だ、でも李四って呼んでくれ。よろしくな」くらいに荒唐無稽w 張三李四の滑稽さがわからない人は、まぁ直接的な意訳の以下を参照「オレは鈴木一郎だ。でも佐藤三郎って名乗ることにしたんだ。よろしくな。」

8. もしかして、ここらも全部含めて作者の術中?「嫌いなら読まなきゃいい」という声が聞こえてきそうだが、そういう言い方が通用するのは個人的には「つまらないなら読まなきゃいい」だ。色んな感情を掻き立てられる上、つまらないわけではないので読んでしまう。「嫌い過ぎて一筆書きたくなる」ものを作るのも普通に才能だと思うのよね。

とりあえず、今はこんな感じで考えているが、紀伊国屋から本が届いたらもうちょっと深く掘り下げて行こうと思う。

月の影 影の海〈上〉 十二国記 (講談社X文庫―ホワイトハート)

月の影 影の海〈下〉 十二国記 (講談社X文庫―ホワイトハート)

2 Comments to "『十二国記』との決着–『月の影 影の海』"

  1. はりゅか's Gravatar はりゅか
    03/19/2012 - 11:12 PM | Permalink

    十二国記ってたしかに君嫌いそうだよなぁ笑
    まぁでもあのアニメ自体は私嫌いじゃなかったな。原作は面倒くさそうだったから読まなかったけど。

    本当の中華系小説っていうのはやたらストーリーの世界観とか場面設定なぞの説明が長いし、やたらドロドロしているし、やたら人がすぐ死んで、やたらが登場人物が入れ替わるが、だがしかし。完成度が高くて読み終わった後のうならせ感とか凄いもんね。そういうのよみ慣れている人にはこの小説はきどってんじゃねーよ!って感じなんだよな、おそらくww

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