Beer Gameについて、ちょっとシリアスな追記

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Beer Gameについて、ちょっとシリアスな追記all over the place


もちろん、ここで語られているのとほぼ同じ内容なんだが、私は事前に多少の了解があって心落ち着けてやれたものの理想的とは程遠く、チーム内では同じく、なんかこだわらないタイプの人が数人いたため大きなコストを抱えることは免れても入賞には至らなかった。

入賞って何かって?高名なSternman教授が413人いるMIT新入生全員に1ドルずつ供出させて、上位3位のチームにDistributeする、というかなり楽しいインセンティブを儲けてくれたのである。ゲームの内容とインサイトはいつものLilac女史のサイトをご覧になられたし!だが、私として特筆すべきことは以下である。

Beer Gameをやると、人間の根源的な弱さというものが露呈される。人種、バックグラウンド、教育レベル、職歴、性別に関わらず大抵のプレイヤーはこう考えるからだ。

「ゲームが上手くいっていないのは、隣のサプライチェーンを担当している人たちが救いようのない馬鹿であるからであり、消費者がしょうもない阿呆であるからであり、よって自分の責任は微塵もない」

この現象を社会心理学のTermでいうと、Fundamental Attribution Error(対応バイアスまたは根本的な帰属の誤り)――英語でも日本語でも微妙にぎこちないその言葉は、しかし社会心理学の根本をなす概念でもある。人は基本的に、他人の過ちを責め立て、その人格を貶める理由に繋げ(例:これだから女は…とか、これだから○○人は…とか)己の過ちには千万の外的要因を用意する。その「これだから〇〇は…」というちょっとしたいらつきが偏見そのものであり、世の中の大抵の矛盾を引き起こしている元凶でもある。

アブグレイブの虐待などセンセーショナルな事件や犯罪も、大抵の人間は同じ立場だったら同じ事をやっている。腐ったみかんが存在するのは箱が腐っているから、というケースの方が絶対的に多い。「いや絶対に自分がその立場でもそうならない」と断言する人間こそが一番危ういし(自己認識の低さから)、私からするとそういう断言は世の中の矛盾にすでに加担している。Sternmanは、そういった人間誰しも持つ弱さというのは完全に認識した上で克服するしかないという。

個人的には、そういう認識を持つのは難しいと想像する。余程の優しさと想像力を持っている人か、挫折に近い形で世の中の標準では褒められたものではない選択をし己の弱さを受け入れた上で生き延びた経験がある人でないと、簡単には持てる感覚ではないと思う。だからSternman教授はMIT新入生全員にこのゲームをやらせ、全員に挫折を経験させた。1位のチームを含め、全員がゲームそのものに負け、その傷口からこの教訓を吸収するデザインなのだ。

「あなたがたの中で、罪を犯したことのない者がまず、この(姦淫で捕らえられた)女に石を投げればいい」とはイエス・キリストの名言だが、この認識に繋がるものがあるから、私はイエスが結構好きだ。その精神と真逆なことを推奨し実行してきた、彼が祭り上げられている宗教Sについては複雑な思いがあるけれども。

これは完全な邪推かもしれないが、SloanのAdmissionはこういう自己認識が出来そうな(底抜けに優しいか想像力があるか痛い目を見たことがある)人間を特に採用しているのではないかと一瞬思った。出会う人出会う人、なんだかものすごくForgivingで、ある意味超越していて、ここはbusiness schoolなのかdivinity schoolなのか、たまによくわからないくらいだ。

あと、Sternman教授のテンションが5時間くらいずーーーーっと超ハイパーで、舞台などで役者がセリフを言うレベルのエネルギッシュさがひたすらすごい。何年も続けていることとはいえ。だが、最後持っていった結論を鑑みるとこれは情熱というより使命感ではないのかとこれも邪推。

Beer Gameが締めくくられた直後、会場はSloan新入生全員のSternman教授に対するスタンディングオベーションで湧いた。

ただひとつ言えるのは、彼の授業はこれから先どの学期も人気過ぎて、ぱつんぱつんで、ものすごく潜りこむのが難しいのだろうということだけである。

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